よう御無事で、有吉さん
2023年 08月 30日
きのうも歯科、なかなか義歯の形が決まらない。
ふだんご飯を食べる時にどういう姿勢ですか、ひじ掛けや背凭れに持たれていますか。
その時の姿勢で普通に噛み合わせてみて、義歯の形、位置を決めるのです。
改まって訊かれると、どういう姿勢でご飯を食べているのか、イメージできなくて、ひじ掛けに腕を置くことがあります、と答えて帰宅してみたら、なんとひじ掛けそのものがなかった。
こういうのも認知が進んでいるというのだろうか。
家を出たのが11時半、暑い盛りだったが、往復歩いた。
汗をふきつつ歩くのは嫌いじゃないのだ。
それでも日影があると嬉しかった。
帰りにカフエでホットコーヒーを飲み、本を読んだ。
暑い盛りに出た甲斐があったというものだ。
夜は父の日に長男が送ってくれた博多新三浦の「水炊き」を、冷房の効いた部屋で、焼酎ロックを飲みながら、大満足。
朝は残り汁で雑炊。
有吉佐和子「女二人のニューギニア」。
学生時代からの友人で、東大文化人類学教室に籍をおく畑中幸子に、東京で会ったとき、
畑中はオーストラリア政府(とうじ国連方委任されて信託統治)の支援をうけてニューギニア奥地のヨリアビでフィ―ルド・ワークをしていたのだ。
有吉が「そう、そんなにいいところ?」と相槌を打ったのに、「うん、あんたも来てみない、歓迎するわよ」と返され、インドネシアで育ち、その翌年インドネシアへの旅行も計画していた有吉は、「地図で見ればほんの五センチほどの距離」だから、ついついその話にのってしまう。
本書の書き出しは、有吉がニューギニアに行くと行ったとき、東京の知人友人たちの誰一人、あそこは大変なところだからやめときなさい、と忠告する人がいなかったことへの恨み節から始まる。
身長だけは164cmあるけれど、それは独活の大木、ゴルフも歩くのがしんどいからとやらず、虫一匹這い出しても悲鳴をあげる。
そんな有吉が密林のなかの急な山々を三日間歩き続け、さいごは足の爪がはがれそうになり「私は壊れて」、土着のシシミンたちにおぶさり、果ては二本の棒にくくりつけられて仕留めた野ブタを運ぶようにして、ようやく畑中の「御殿」に到着したのだ。
そこであったシシシンの酋長は鼻の先に穴を三つあけ、そこからオウムの黒い爪を一本づつ突き出していて、二年前に28人のドラムミンを射殺した、それが有吉をイミシンな目でみる。
野ブタ三頭と女一人が交換されて、権力者は一夫多妻、子供でも母親がいる社会だ。
有吉は両足の爪が生え変わるまで、どこにも出られず、というより、畑中の言う「ちょっと先」は、難行苦行の数時間を指すらしいから、ずっと畑中御殿にこもり切りだ。
有吉は作家の眼で、畑中の貧しさに驚く。
その食生活の単調すぎるのに、護衛のポリスに『大蛇』を所望して少しでも変化をつけタンパク質を摂取させようとする。
ほとんどのシシミンがパンツを穿かないので、せっせと古着を切ってパンツを縫う。
よく仕事をする男にそのパンツをやると、彼はエリート意識をもつようになって、働かなくなる。
「手を洗う」ことをやっと覚えたと畑中が嬉しそうにいうシシミンが、手を洗った水を使ってコーヒーを淹れる。
洗うということの意味を教える難しさ。
畑中御殿の暮らしのなかのユーモラスに語られる出来事の底に漂う無力感、のこしてきた幼子に対する罪悪感(無事帰れないかもしれない)。
東京では、つつましやかな女性に見えた畑中がニューギニアでは別人格となって、ほとんど毎日激怒し、関西弁交じりのビジン語でシシミンを怒鳴りつけ、その矛先は有吉にも向かう。
本書は抱腹絶倒の旅日記でありながら、畑中幸子という少壮人類学者の肖像画でもあり、彼女のターザンのような女傑ぶりに驚く、同時に尊敬の念を抱かざるを得ない。
快適な書斎でパソコンを操って、適当な「論文」をでっちあげて「学者でござい」と威張っているような手合いに、彼女の爪の垢を煎じて飲ませたい。
有吉は帰国後、マラリアを発症して、危うく命を落としかねなかった。
そこに書かれる、彼女が知らずして回避できた様々なリスクを読むと、僕まで有吉さん、よくぞ御無事でと思い、そういうリスクのまっただなかで、学問をつづける畑中の偉さを想う。
ふだんご飯を食べる時にどういう姿勢ですか、ひじ掛けや背凭れに持たれていますか。
その時の姿勢で普通に噛み合わせてみて、義歯の形、位置を決めるのです。
改まって訊かれると、どういう姿勢でご飯を食べているのか、イメージできなくて、ひじ掛けに腕を置くことがあります、と答えて帰宅してみたら、なんとひじ掛けそのものがなかった。
こういうのも認知が進んでいるというのだろうか。
家を出たのが11時半、暑い盛りだったが、往復歩いた。
汗をふきつつ歩くのは嫌いじゃないのだ。
それでも日影があると嬉しかった。
帰りにカフエでホットコーヒーを飲み、本を読んだ。
暑い盛りに出た甲斐があったというものだ。
夜は父の日に長男が送ってくれた博多新三浦の「水炊き」を、冷房の効いた部屋で、焼酎ロックを飲みながら、大満足。
朝は残り汁で雑炊。
有吉佐和子「女二人のニューギニア」。
学生時代からの友人で、東大文化人類学教室に籍をおく畑中幸子に、東京で会ったとき、
東京は騒がしゅうてかなわん。私はもう疲れてしもうた。早うニューギニアへ帰りたい。ニューギニアは、ほんまにええとこやで、有吉さん、私は好きやなあ。という。
畑中はオーストラリア政府(とうじ国連方委任されて信託統治)の支援をうけてニューギニア奥地のヨリアビでフィ―ルド・ワークをしていたのだ。
有吉が「そう、そんなにいいところ?」と相槌を打ったのに、「うん、あんたも来てみない、歓迎するわよ」と返され、インドネシアで育ち、その翌年インドネシアへの旅行も計画していた有吉は、「地図で見ればほんの五センチほどの距離」だから、ついついその話にのってしまう。
本書の書き出しは、有吉がニューギニアに行くと行ったとき、東京の知人友人たちの誰一人、あそこは大変なところだからやめときなさい、と忠告する人がいなかったことへの恨み節から始まる。
身長だけは164cmあるけれど、それは独活の大木、ゴルフも歩くのがしんどいからとやらず、虫一匹這い出しても悲鳴をあげる。
そんな有吉が密林のなかの急な山々を三日間歩き続け、さいごは足の爪がはがれそうになり「私は壊れて」、土着のシシミンたちにおぶさり、果ては二本の棒にくくりつけられて仕留めた野ブタを運ぶようにして、ようやく畑中の「御殿」に到着したのだ。
そこであったシシシンの酋長は鼻の先に穴を三つあけ、そこからオウムの黒い爪を一本づつ突き出していて、二年前に28人のドラムミンを射殺した、それが有吉をイミシンな目でみる。
野ブタ三頭と女一人が交換されて、権力者は一夫多妻、子供でも母親がいる社会だ。
有吉は両足の爪が生え変わるまで、どこにも出られず、というより、畑中の言う「ちょっと先」は、難行苦行の数時間を指すらしいから、ずっと畑中御殿にこもり切りだ。
毎日もうれつな蚤の咬み跡をカユイカユイボリボリと掻きながら話す。
川の泥水で洗濯したり、その水を飲む。
有吉は作家の眼で、畑中の貧しさに驚く。
その食生活の単調すぎるのに、護衛のポリスに『大蛇』を所望して少しでも変化をつけタンパク質を摂取させようとする。
ほとんどのシシミンがパンツを穿かないので、せっせと古着を切ってパンツを縫う。
よく仕事をする男にそのパンツをやると、彼はエリート意識をもつようになって、働かなくなる。
「手を洗う」ことをやっと覚えたと畑中が嬉しそうにいうシシミンが、手を洗った水を使ってコーヒーを淹れる。
洗うということの意味を教える難しさ。
畑中御殿の暮らしのなかのユーモラスに語られる出来事の底に漂う無力感、のこしてきた幼子に対する罪悪感(無事帰れないかもしれない)。
東京では、つつましやかな女性に見えた畑中がニューギニアでは別人格となって、ほとんど毎日激怒し、関西弁交じりのビジン語でシシミンを怒鳴りつけ、その矛先は有吉にも向かう。
本書は抱腹絶倒の旅日記でありながら、畑中幸子という少壮人類学者の肖像画でもあり、彼女のターザンのような女傑ぶりに驚く、同時に尊敬の念を抱かざるを得ない。
快適な書斎でパソコンを操って、適当な「論文」をでっちあげて「学者でござい」と威張っているような手合いに、彼女の爪の垢を煎じて飲ませたい。
有吉は帰国後、マラリアを発症して、危うく命を落としかねなかった。
そこに書かれる、彼女が知らずして回避できた様々なリスクを読むと、僕まで有吉さん、よくぞ御無事でと思い、そういうリスクのまっただなかで、学問をつづける畑中の偉さを想う。
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vitaminminc at 2023-08-30 20:01
私もふばこさんのブログでこちらの本を知って、丁度昨晩から読み始めたところです。
人間の本能には、順応性という究極の武器が備わっているものなのでありましょーか。私には絶対無さそう。でも、出だしから面白い!
人間の本能には、順応性という究極の武器が備わっているものなのでありましょーか。私には絶対無さそう。でも、出だしから面白い!
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saheizi-inokori at 2023-08-30 20:10
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tanatali3 at 2023-08-31 02:41
畑中氏の誘いに軽く応じる有吉氏のフットワーク、而して現実はということでしょうか。この文化人類学・フィールドワーク、聴こえはいいが、実態は共同生活でのサバイバル。下手をすれば風土病に罹り命も危うい。そんな体験・調査・研究をよくぞ女性がされたものだと驚きます。
半年ほど前でしたか、東大卒の女性で、似た内容の体験談を書籍で出版されていたような。
ユーモアを交えて描かれるあたり、実際は厳しい現実の毎日、書くことで現実逃避と明日へのモチベーションに繋げたのではと、読みたくなりました。
半年ほど前でしたか、東大卒の女性で、似た内容の体験談を書籍で出版されていたような。
ユーモアを交えて描かれるあたり、実際は厳しい現実の毎日、書くことで現実逃避と明日へのモチベーションに繋げたのではと、読みたくなりました。
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saheizi-inokori at 2023-08-31 09:42
> tanatali3さん、ある種の文明批評にもなっているのは、さすがです。
by saheizi-inokori
| 2023-08-30 12:13
| 今週の1冊、又は2・3冊
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