ライ・クーダーが「進歩」を語る
2023年 08月 18日
CDが聴かれる再生機を買ったのは30年くらい前だったかな。
秋葉原で機械を買ったときに景品でもらったマーラーの「大地の歌」をかけて、新しい世界に接したような気がした。
うれしくて、秋葉原の近くに行くと、たいていCDを買って帰った。
ほとんどは、モーツアルトやベートーベン、バッハなどのクラシック。
何があって何をもってないのか、分からなくなるのをぼやいていたら、高校生の次男が目録を作ってくれたのは嬉しかった(それを持ち歩かないものだから、あまり役に立たなかったけれど)。
ポピュラー音楽などを買うようになったのは、経済的にゆとりがあった頃だ。
渋谷のタワーレコードとかによく行くようになった。
ハワイ旅行をしてくるとハワイアン、沖縄が好きになると沖縄の歌、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を見るとキューバの音楽、、ミーハー的な買い方をした。
安くなっても一枚1500円くらいするものをあんなふうに買えた自分が、レンタル映画「僕の伯父さん」の400円を惜しんでいる今は他人のように思える。
(解体工事現場が増えている)
きのう引っ張り出した、埃だらけのCDはライ・クーダーの名前に惹かれて買ったものの、一度聞いてほっぽり出してそのままになっていた。
あの頃は読みもしなかったライナーノーツ、メガネをかけても読みにくい細かな字で書かれたそれは、ライ・クーダーのもの(木村麗子訳)だ。
しかし、ライ・クーダーは、
収められた15の曲にもまた、歌詞の前にライ・クーダーの魅力的な説明があって、それらを読むと、「歩道の果て」にあったチャベス・ラヴィーンをめぐる事件や懐かしい光景が目に浮かぶようだ。
細かい字を我慢して読んでからすべての曲を聴きなおした。
そのなかの「サード・ベース、ドジャー・スタジアム」。
ブラ・パヒニュイが歌う歌詞は、こんなことだ(抄)。
YOUTUBEにあったので、ご参考までにお聴きください。
秋葉原で機械を買ったときに景品でもらったマーラーの「大地の歌」をかけて、新しい世界に接したような気がした。
うれしくて、秋葉原の近くに行くと、たいていCDを買って帰った。
ほとんどは、モーツアルトやベートーベン、バッハなどのクラシック。
何があって何をもってないのか、分からなくなるのをぼやいていたら、高校生の次男が目録を作ってくれたのは嬉しかった(それを持ち歩かないものだから、あまり役に立たなかったけれど)。
ポピュラー音楽などを買うようになったのは、経済的にゆとりがあった頃だ。
渋谷のタワーレコードとかによく行くようになった。
ハワイ旅行をしてくるとハワイアン、沖縄が好きになると沖縄の歌、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を見るとキューバの音楽、、ミーハー的な買い方をした。
安くなっても一枚1500円くらいするものをあんなふうに買えた自分が、レンタル映画「僕の伯父さん」の400円を惜しんでいる今は他人のように思える。
ライ・クーダーは「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を掘り出した人ということで、その名を知った。
いまは、六角精児の『呑み鉄本線・日本旅」のBGMで六角さんおすすめの曲によく彼の曲が登場する。
いまは、六角精児の『呑み鉄本線・日本旅」のBGMで六角さんおすすめの曲によく彼の曲が登場する。
きのう引っ張り出した、埃だらけのCDはライ・クーダーの名前に惹かれて買ったものの、一度聞いてほっぽり出してそのままになっていた。
あの頃は読みもしなかったライナーノーツ、メガネをかけても読みにくい細かな字で書かれたそれは、ライ・クーダーのもの(木村麗子訳)だ。
子供の頃、ロサンジェルスを端から端へと乗り継いで行くのが好きだった。西へ行くのは未来に向かっていくこと、一方、東はまちがいなく過去の世界だった。サンタモニカから、東へ、バス、市街電車でダウンタウンL.A、そこには50年以上昔の世界が広がり、さらに小さなトロリー電車でバンカーヒルまで行けば、英語が日常語であったわけではない老人たちの住んでいるミニチュア世界に辿りついた。
しかし、ライ・クーダーは、
チャベス・ラヴィーンへは行ったことがない。その場所のことは50年代初めに聞いた。すなわち、立ち退きのこと、1マイル足らずのところにある市庁舎での権力争いのこと。「パチューコ事件」(1940年代初めにメキシコ系アメリカ社会に出現したパチューコス・ギャングを水兵や海兵隊の部隊がチカーノの居住区・バリオで急襲した。ズートスーツという独特の服装で「カロ」というスペイン語ジプシー語英語黒人のスラングを混合した隠語を発達させた。犯罪者もいたが、多くはファションと反体制的な態度を真似ていただけといわれる)、「赤狩り」、峡谷(ラヴィーン)がドジャース球団にぬけめなく売り渡されたこと、LAPD(ロスアンゼルス警察)から不当な扱いを受けながら、あるいは地元の政治家から強硬な説得を受けながらも、自分たちのささやかな家がブルトーザーによって粉々にされていくのを見つめているどこかの貧しいメキシコ人家族の写真が時おり新聞に載ることもあった。私がこれらの何かひとつでも理解できるようになったのはずっと後で、あの計画がつまずいてからかなりの時間が経ってからのことだ。当時は、あのような出来事は「進歩」と呼ばれていた。
収められた15の曲にもまた、歌詞の前にライ・クーダーの魅力的な説明があって、それらを読むと、「歩道の果て」にあったチャベス・ラヴィーンをめぐる事件や懐かしい光景が目に浮かぶようだ。
細かい字を我慢して読んでからすべての曲を聴きなおした。
そのなかの「サード・ベース、ドジャー・スタジアム」。
ブラ・パヒニュイが歌う歌詞は、こんなことだ(抄)。
ミスター、あんたは野球選手だな
見れば誰にでも分かること
この偉大な国で最高に公明正大なゲーム
少ないけどチップを受け取ってくれよ
俺たちは夜ここで働いている 駐車場の仕事だ
月と星の下で
1952年に俺たちみんなが知っていたのと
同じ月と星さ
俺みたいな地元のやつの出身地がどこなのか
知りたきゃ教えるよ
ドジャースタジアムのサード・ベースさ
セカンドベースはすぐそこだ
おばあちゃんがロッキングチェアに坐って
風に揺れるカーテンを眺めている
そして男どもはみんな自分のチームの選手選びをしている
(三連略)
さて ブルトーザーが俺の庭に入ってこなければ
俺たちのイニシャルが彫られた木があったのに
たくさんの大切な瞬間は記憶のなかにある
楽しいことばかり あの時ゲームは自由だった
自由だった
(以下三連略)
YOUTUBEにあったので、ご参考までにお聴きください。
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hanarenge2 at 2023-08-18 12:46
聴き入っています
とても良いですね
お気に入りになりました
とても良いですね
お気に入りになりました
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saheizi-inokori at 2023-08-18 13:11
> hanarenge2さん、そうですか、私はライナーノーツを読んでようやく少し良さが分かるように思いました。ライの実験的アルバムですね。
「ブエナビスタソシアルクラブ」は説明ぬきで何度聴いてもイイナ!です。キューバに行きたかったなあ。
「ブエナビスタソシアルクラブ」は説明ぬきで何度聴いてもイイナ!です。キューバに行きたかったなあ。
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stefanlily at 2023-08-19 00:25
こんばんは、
ライ・クーダーは「パリ・テキサス」のサントラを持ってます。
ギタリストで有名な方だから、歌ってるのは知らなかった。
キューバと言えばホークスの3人、村上龍(ハウステンボスでキューバ音楽関係イベントのプロデュース)、ヘミングウェイ。
私の好きな人々と関わりある国。
ドジャース!日本人選手をずっと気に懸けてくれるチーム。失われた住居がドジャーススタジアムになっていたとは!
そしてサードベースマン!栗原ぁぁー!教えて下さってありがとうございます。
ライ・クーダーは日本の有名猫ブロガーに「イイね!」してたと。
猫を連れて桜島など、有名観光地の写真をアップしてる方です
ライ・クーダーは「パリ・テキサス」のサントラを持ってます。
ギタリストで有名な方だから、歌ってるのは知らなかった。
キューバと言えばホークスの3人、村上龍(ハウステンボスでキューバ音楽関係イベントのプロデュース)、ヘミングウェイ。
私の好きな人々と関わりある国。
ドジャース!日本人選手をずっと気に懸けてくれるチーム。失われた住居がドジャーススタジアムになっていたとは!
そしてサードベースマン!栗原ぁぁー!教えて下さってありがとうございます。
ライ・クーダーは日本の有名猫ブロガーに「イイね!」してたと。
猫を連れて桜島など、有名観光地の写真をアップしてる方です
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saheizi-inokori at 2023-08-19 10:53
> stefanlilyさん、いろんなつながりがぞろぞろと出てきますね。
さつま芋の獲れどき^^。
けさもライ・クーダーの「Cancion Mixteca」というのにぶち当たって引き込まれていました。
さつま芋の獲れどき^^。
けさもライ・クーダーの「Cancion Mixteca」というのにぶち当たって引き込まれていました。
by saheizi-inokori
| 2023-08-18 12:23
| 能・芝居・音楽
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Comments(4)