精神の核
2023年 08月 14日
慌てて取り込んだら、青空なのに降りつづけている。
そして今は暗くなっていよいよ本格的な驟雨だ。
いい気持ち。
テイクさんが素敵な動画を見せて下さった。
cafeの出来事😘🩷
— pilorin (@pilorin3) August 11, 2023
イタリア🇮🇹 pic.twitter.com/dtF0AHtP4G
明日は亡妻の命日。
30年前の今日、ずっとホスピスに泊まり込んでいた。
子供たちが、見ているから一度家に帰ってぐっすり寝なよと言ってくれて、帰ってみると、糊の利いたシーツが敷いてあって、横になったけれど、ぜんぜん眠気が起きず、起き上がって病院に帰った。
亡妻は、僕をみて「あ~あ」とがっかりした顔をした。
それから何日後だったか、妻の親友が会いに来てくれて、玄関まで送っていくと「うちの母もガンで亡くなったけれど、あの調子ならまだまだ大丈夫よ」と言ってくれたのに、それからすぐに意識もうろうとしてして譫言をいうようになった。
でも、まだ明日のことだとは思わなかったのだ。
いつだって、明日だとは思わないのだ。
宮城谷昌光「三国志 第五巻」を読み始めた。
いよいよ曹操や劉備、孫策たちが表に出てくる。
戦いも多くなる。
子供の頃に読んだ三国志は、戦いのことばかり書いてあったような気がするが、大人向けのほかの作家のものはどうなんだろう、戦いよりも、宮城谷の人物評とか世界観が面白い。
これは中国の史書から読み取り、彼の人生観で料理したものだろう。
たとえば、
最大の敵とは、憎悪すべき対象であるにはちがいないが、みかたをかえれば、その存在は天が与えてくれた師資であったかもしれない。公孫瓚は劉虞を憎みぬいて斃したが、その後、批判者を失ったがゆえに人格的に成長しなくなった。それどころか精神の核が融けたように、恣心をさらけだした。批判者を許さない、あまりにもありふれた今の権力者たちのありようではないか。
そうだ、だからみんな「精神の核」が融けて(彼らにはもともとあったかどうかも判然としないが)、子連れで公費でフランス遊覧をしたり、利害関係者から巨額の金を貰って競走馬を買ったりするし、違法な風俗の常連だったりして、親分たちはせっせと日本をぶち壊しているのだ。
隊長ブログ(→https://taicho2006.exblog.jp/29664936/)からのスタンフォード大学・西教授の名調子を聞いてください。
スタンフォード大学フーヴァー研究所 西銳夫 教授
— 赤髪 (@akagamisp) May 1, 2023
1つ私からの警告です。皆さん、このままの日本が、続くと思われてないんでしょうね?日本ひょっとしなくても今末期だろう😰
15分の動画是非観て負に落ちない事が解決出来はず🤔 pic.twitter.com/52a5BHWPLx
最大の実力者・袁紹は、困窮する天子を迎えて奉じるべきだという意見を良しとしない。
自分が天子になりたいから、なにをいまさらなのだ。
それでも郭図をして、朝廷の様子を見にやらせる。
そのくせに帰った郭図に詳細な報告を求めない。
これが袁紹のわかりにくさであるといえようが、朝廷に動きが出てからつぎの手をうてばよいというのが袁紹の考えであり、動くまえに予測して手段を講じておくことのない人である。名門の子弟の体質とはそういうものなのであろう。ただしこの優柔不断が袁紹の命運を左右することになる。子供の頃から、何でも自分の思うようになって、それが全体を把握して最善の策を講じるべき大人になっても、自分で考えることが出来ない、衝動と自分の身分を保証してくれる、たとえば派閥の領袖とかアメリカのいうなりに動いて、あとは成り行き任せ。
それが、恥ずべき後進国日本を造ってしまった。
曹操は常に学ぶ男だった。
歴史は知恵の無限大の宝庫であるといえる。それを識るがゆえに、それにとらわれ、苦しまねばならぬということがあるにせよ、そうなる者には謙虚さが足りず、ほんとうの学問をしなかったともいえよう。うぬぼれていては、自分のなかに知恵をうける器をつくれない。その点、宦官の孫であるとさげすまされた少年期をもつ曹操は、うぬぼれようがなかった。世論がつねに正しいわけではなく、世論にも偏奇があることを身をもって知っている。それゆえに曹操は真の正しさを求めて学問をした。儒教に染まっていない古学にくわしくなったのも、理由があることである。曹操は時代に媚びなかった。じつはほとんど学問をしなかった劉備にも、おなじことがいえる。ね、三国志、面白いでしょう。
丁度お盆ですね。
そうですね。何時だって明日とは思わないのですね。切ない事です。
イタリアの素敵な動画拝見しました。素晴らしい。
西教授の動画、明日ちゃんと拝見させていただきます。
感謝です。
御命日だったとは。30年も過ぎたとは。心よりご冥福をお祈りいたします。
最初の歌、素晴らしい。今更ながら音楽の持つ力を感じました。しかし、専門家が普通にいるレストラン、お国が違いますね。コンサートに行きたくなったけれども、体力なしで、せめてCDなどで楽しみます。
次の西教授、びっくり。その通りなのですから。私も日本はもうこんな状態は長くなく酷いことになると思っています。自分はもうこの世にいないのでいい目にあって一生を終えるのは申し訳ないと思いました。
私は昔聞いたきりになっているCDをとっかえひっかえ聞いて過ごしています。
聞いた記憶もないような知らない歌手のものもあり、毎日聞いていた頃のことを思い出したりして不思議な気分です。