シンプルに核心をつく

今朝はまだ29度、ずいぶん涼しく感じられる、慣れのしたたかさとでもいうか。
それにしても、日中炎天下の道路工事とか大工仕事はいかにも大変だろう。
きのう、サンチをつれて病院に行く途中の工事現場の道端に座り込んで、金具を曲げる仕事をしている人がいた。
そばに大きな扇風機をおいてが~が~やっている。
小一時間経って、帰りにもまだやっていた。
出てくる前に室内で用意してこれない、なにかの事情があるのだ。
夕方は道路のアスファルト舗装をしている、なにかで掘り返したあとなのだろう、じつにしょっちゅうやっている。
スーパーの帰りに脇を通ったら、工事に当たっているのはみんな黒い顔をした外国人だった。

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朝、NHKで稲垣なんとかという女性のシンプルライフを(途中から)みた。
冷蔵庫もガスレンジもない暮らしを興味深く見ていたら、彼女がそういう暮らしにしようと思ったきっかけの話にとても共感した。
母親が認知症を診断されて、「この先、どうやって生きて行ったらいいのか」と途方に暮れているのをみて、はっと気がついた、年をとれば金、健康、、いろいろできなくなることが増えてくる。
海外旅行にも行きたい、何かを見たい、ともっともっと何かをしたい、という生き方でなく、目標を下にさげて、日々の何もない暮らしのなかで、ああ、今日はいい天気だ、花が咲いたとシンプルな喜びを見出した行くべきだと思ったという。

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(ふと秋の気配)

まるで、いまの僕、いやかつての僕のようだ。
朝起きると、空模様に一喜一憂し、昼飯は納豆と酢玉ねぎ、本を読んで過ごし、夕方は散歩に出て、スマホに何かを写してくる。
子どもの頃は、冷蔵庫もなし、残ったご飯を雨戸の外につるしておいて、匂いを嗅いで、少しくらい臭くてもまだ大丈夫と食った。
水道も、まして風呂がないから、週にいちどの銭湯(芋の子を洗うようだった)、たまに夕立がくるとシャワー代りだ。
トマトとキュウリもみに砂糖入りの湯だけのおかずでもうまいと思って食えた。
母と弟と三人であれこれ喋って笑う仕合せ。
学校や近所の友達と暗くなるまで遊び、夜は母の無事な帰宅を心から待ち望んだ。

もっといえば、亡妻のホスピタルでの最期の日々、ああ、きょうもまだ話のできる妻とともに一日を暮らせるという、その喜びがどれほど大きかったか。
病室で僕の飲む缶ビールを一口飲んで「ああ、おいし」と言ってくれた、その言葉がどれほど嬉しかったか。

物質的に豊かになればなるほど、喜びを感じる心の閾値が高くなる、感性が鈍くなり非効率になるようだ。
だからといって、最低限の暮らしすら成り立たなくしかねない自民党の増税路線を支持するわけではないが。

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「天皇の世紀」の解説の中で、一読を薦められていた、永井路子「岩倉具視 言葉の皮を剥きながら」を読みだした。
この際手擦れたキー・ワードを一切はずす。尊王攘夷、佐幕、王政復古。そしてできれば「明治維新」も、、、。言葉は思いがけないほど虚偽の衣装を纏っていることが多いからだ。
例えば、つい六、七十年前、日本には「大東亜共栄圏」「八紘一宇」「聖戦完遂」などの言葉が乱舞した。仮にもあの戦争に勝ったとしたら、それらの言葉は跳梁し続けているだろう。敗戦によって、言葉は衣装を剥きとられ、姿を消した。
権力者、政治家は、言葉に虚偽の衣装を着せる。
それは、今もまた甚だしく、憲法9条のごときは十二単を着せられてしまったではないか。

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江戸時代「手入れ」という言葉には「贈賄」という意味があったという。
譜代には権力を、外様には富を、一門には血の優位性を、この絶妙なバランス政策は家康と秀忠によって構築されて徳川幕府を二世紀半も長持ちさせた。
そのフレームのなかでも外様は権力を、一門は将軍の座を喉から手の出るほど欲しがった不満が鬱積する。
その消炎装置が「官位」だ。
尾張と紀伊には大納言、水戸には中納言、それから信濃守などの肩書、いずれも実体のない虚名でも、これで江戸城における着座の席次が決まる。
水戸が御三家の中にありながら、中納言であったことが、水戸の反幕府意識の根っこにある。
その肩書は天皇という「権威」によって与えられる(幕府の言うとおりに)。

さらに、幕府の直臣も大名も、肩書だけでなく、幕閣内の実質的な地位がそれぞれの家格によって、到達できる地位が決まっていた(「先途・せんど)という)。
しかし、のほほんと手を束ねていたのでは「先途」に近づけない、骨身を削っての才覚が必要となる。
そこで「手入れ」だ。
永井路子は、鷹見泉石(渡辺崋山が描いた肖像画が国宝)の日記を調べているときに、その「手入れ」の実態を発見する。
主君の老中・土井利厚の加増を一橋家から将軍に耳うちしてもらうべく、手入れを行う、頻繁に。
誰に何を、どのタイミングで、手入れのやり方は難しい。
手入れの相手を間違えて失敗(慶喜を将軍に出来なかった)した堀田正睦もいる。
関白を辞めた鷹司政通が、佐幕で開国論者だからと手入れを怠り、九条関白に莫大な手入れを行ったことが、鷹司の怒りを買って、俺の実力を見せてやる、と九条の「この件に関しては幕府に一任」とする方針を直前に公卿八十八人の列参をしかけてひっくり返す。
ふつうには岩倉具視の仕業とされているのを、永井は鷹司→久我建通→岩倉具視のラインだとする。
開国かどうかなどよりも権力争いの方が優先するのが当時の公卿社会だったと。

「天皇の世紀」の見方を、さらにひとひねりして歴史の実態に迫る。
切れ味のよい文章が面白い。

Commented by jyariko-2 at 2023-07-21 19:13
人の幸せって自分が決めるとよく言われますが
温かさ笑み触れ合い語らずも一緒にいるだけでいい幸せな気持ち
そんなものを感じたり求めたり出来るのも
人生いろいろ過ぎてきたから言えるのかも知れないですね
横の人と笑顔をかわせあえる日をつなげていきたいです
格差や偏見の世の中 せめて
憲法に記されている暮らし、人権の尊重はきちんと守ってほしいものです
saheiziさんは受けるも注ぐも愛情いっぱいですね
Commented by saheizi-inokori at 2023-07-21 21:35
> jyariko-2さん、いや、反省しきりです。
Commented by umi_bari at 2023-07-21 21:58
世界は不安ばかりです。
政府は、国民の事を考えずに、外国へ豪遊して
ケツゼイヲばら蒔いています。
でも、国内は増税。
それでも与党が勝つんですよね。
アラック、綺麗な物?良いな物?しかなかなか撮らないんです。
駄目ですね。
日常のありのままの姿の撮影&投稿に頭が下がるばかりです。
お見事バグースです。
Commented by chic-uni at 2023-07-22 10:19
私も同じ暮らしをしております!(^^;
幸せについて私が最も感銘を受けたのは、
ダライ・ラマ14世が来日の記者会見で仰ったことばです。

記者「幸福とは何でしょうか?」
ダライ・ラマ「幸福とはこころが満たされることです」

簡潔にして、言い得て妙!!
これを聞いて、自分の周りに幸福があふれていることに気が付きました!
以降、暮らしの満足度が上がり、いつも感謝の念を持ち続けています。(^^)
Commented by saheizi-inokori at 2023-07-22 10:55
> umi_bariさん、通勤手当や奨学金などにも課税しようというのですから、クレージーですね。
もう一揆です!
Commented by saheizi-inokori at 2023-07-22 10:58
> chic-uniさん、いつも、もっともっとでは「こころが満たされる」ことはないですね。
でも、羨ましい、と思うことも多い日々、未熟さを痛感します。
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by saheizi-inokori | 2023-07-21 12:36 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Comments(6)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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