皮肉とユーモア ケストナー「終戦日記一九四五」
2023年 07月 16日
敵機襲来のような大騒ぎの猛暑予報が、当たらなくてもいいのに大当たり。
大掃除、仏壇のお位牌を拭いていても汗が出てくる。
さすがに今朝は窓拭きは、内側からちょこちょことやっておしまい。
洗濯物を干しにベランダに出ると、帽子を被って首にタオルを巻いていてもむき出しの腕が焼ける。
くらくらするようなので、体操は起き抜けのスクワットと股割だけで、あとはサボる。
ほんとに必要なのか、よくよく考えて外出は控えるように。
そうおっしゃいますが、歯医者にいかねばならぬ。
いつも歩くところを、きょうはバスでと思うが、バスは日曜日は歩行者天国で運休なのだ。
歩行者だってきょうは天国じゃあるまいに、無理するとほんとに天国行きじゃろう。
猫額洞さんに教えてもらった、エーリッヒ・ケストナーの「終戦日記一九四五」を読み始めた。
日本人の終戦日記は、内田百閒、大佛次郎、山田風太郎などを読んだ。
ほかに名高い高見順は、さて読んだのか、清沢冽の「暗黒日記」は未読だ。
ドイツ人の書いたのは始めて。
ケストナーは、L(ブランデンブルグ州・ケッツイン)で遠縁の富裕な繊維商・カールの家で、敗戦間際とは思えないような豊かな、羽目を外した笑いの多い日々――ケストナー曰く「のらくら国」への立ち寄り――を過ごしている。
ナチスの、悪天候でも使える「つなぎの作業衣」を考案したので、いろいろ特別な配慮に与る人たちだ。
多少はあっても、日本の特権階級はあのころは貧しい思いで暮らしたのではないだろうか。
ケストナーの人柄をあらわすくだりだ。
そののらくら国・Ⅼにも、避難民を収容する命令が下った。
弱者は総てをその身に負わなければならない、それは日本でも同じだ。
プロパガンダはドイツでもロシアでもアメリカでも、日本でもいつも同じだ。
大掃除、仏壇のお位牌を拭いていても汗が出てくる。
さすがに今朝は窓拭きは、内側からちょこちょことやっておしまい。
洗濯物を干しにベランダに出ると、帽子を被って首にタオルを巻いていてもむき出しの腕が焼ける。
くらくらするようなので、体操は起き抜けのスクワットと股割だけで、あとはサボる。
ほんとに必要なのか、よくよく考えて外出は控えるように。
そうおっしゃいますが、歯医者にいかねばならぬ。
いつも歩くところを、きょうはバスでと思うが、バスは日曜日は歩行者天国で運休なのだ。
歩行者だってきょうは天国じゃあるまいに、無理するとほんとに天国行きじゃろう。
猫額洞さんに教えてもらった、エーリッヒ・ケストナーの「終戦日記一九四五」を読み始めた。
日本人の終戦日記は、内田百閒、大佛次郎、山田風太郎などを読んだ。
ほかに名高い高見順は、さて読んだのか、清沢冽の「暗黒日記」は未読だ。
ドイツ人の書いたのは始めて。
ケストナーは、L(ブランデンブルグ州・ケッツイン)で遠縁の富裕な繊維商・カールの家で、敗戦間際とは思えないような豊かな、羽目を外した笑いの多い日々――ケストナー曰く「のらくら国」への立ち寄り――を過ごしている。
ナチスの、悪天候でも使える「つなぎの作業衣」を考案したので、いろいろ特別な配慮に与る人たちだ。
わたしの不快感は別のところから発している。陽気な人たちと笑いながら、その連中をルーペで仔細に見るのはまあいいとしよう。これは仕事柄だ。作家は好奇心旺盛だ。しかしわたしは縁もゆかりもないところで他人の世話になっている。自分には縁遠い業界の人々が独裁者を思いっきり馬鹿にするところを観察しながらたらふく食べている。わたしは飽食に加担している。カールの遠縁であるが、彼の気前良さに応えることが出来ない。ささやかな贈り物すらできないしまつだ。わたしは文無しだからだ。そのせいでむしゃくしゃする。次に来る時、食料品配給券から百グラムの食料券を持ってくることはできるだろう。あるいは一年前に焼け落ちた我が家の鍵でもいいかもしれない。それならわたしにもできる。しかしカールには理解できないだろう。カールがくれるものを喜んでもらっておけばいいのに、なぜわたしの心はささくれ立つのだろう。小市民の誇りゆえだろうか。軍隊、権力者たちにつながる一握りののらくら国・Lの住民、それは日本にも存在したのだろうか。
多少はあっても、日本の特権階級はあのころは貧しい思いで暮らしたのではないだろうか。
ケストナーの人柄をあらわすくだりだ。
そののらくら国・Ⅼにも、避難民を収容する命令が下った。
住民は反発している。住民の忍耐力も限界にきているようだ。鉄道とバスでも、手足を切断された障碍者への配慮がなされなくなっている。見せかけだけの恐怖をあおってももはや役に立たない。人々はもう飽き飽きしている。不安の矛先が変わった。堰き止められ、決壊寸前の不満が弱者に向かっている。弱者に不満をぶつける人たちは恵まれているのだ。
弱者は総てをその身に負わなければならない、それは日本でも同じだ。
プロパガンダはドイツでもロシアでもアメリカでも、日本でもいつも同じだ。
プロパガンダによって敗北を隠すという愚行も無視できない。プロパガンダは多くのことができる。プロパガンダは体裁を取り繕う。プロパガンダは染料だ。だが事実を隠すことは敵を利することになる。そうなるとプロパガンダは巷でよく言われているように「アンチガンダ(反宣伝)」と化す。医者を連れてこずに、重病人に化粧を施すとは。辛辣でユーモアの効いた日記、もう少し読みつづけよう。
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yoko68
at 2023-07-16 13:58
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面白そうな本ですね。今借りている本が読み終わったら読んでみようかなぁ。
プロパガンダのあたり興味深いです。
今、石川達三の「風にそよぐ葦」を読んでいるのですが、言論弾圧が描かれており
それに振り回さられる市井の人々の苦悩。横浜事件の存在を全く知らなかった自分に忸怩たる思いがしました。
失われた30年を生きた世代より。
プロパガンダのあたり興味深いです。
今、石川達三の「風にそよぐ葦」を読んでいるのですが、言論弾圧が描かれており
それに振り回さられる市井の人々の苦悩。横浜事件の存在を全く知らなかった自分に忸怩たる思いがしました。
失われた30年を生きた世代より。
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saheizi-inokori at 2023-07-16 15:56
> yoko68さん、面白いですよ、戦争指導者はみんな低能なのかと思います。それとも日独だけ?
by saheizi-inokori
| 2023-07-16 11:58
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
Comments(2)