べらぼうめ
2023年 06月 24日
夕べ早くの予報ではいちにち曇り空ということだったが、朝から日ざしがある。
なんかもうけたような気持でベランダの洗濯物を眺める。
大掃除を終えてストレッチをしながらテレビをみていたら、絞りの風呂敷やTシャツの店が出てきた。
俺にもこういうのあったよなあ、といったらがさごそやって出てきたので、汗に濡れたTシャツを着替えた。
ちんどんやみたいだな。
きのうは、ジョン・ハートの「アイアンハウス」というギャング小説を半分ほど読んだ。
でも、その話の前に、子母澤寛「幕末奇談」から、もう少し引用する。
子母澤寛は古老から話を聞いて、そのなかから面白い話をこういう雑談にまとめたり、小説にもしたらしい。
「古老ばなし」という文章の冒頭の部分。
またいたとしても、子母澤のように喜んで聞く人はもっと少ないのではないか。
僕の本籍・山梨石和の親戚に、そう、僕が小学生の時に、もう高砂の媼みたいなおばあさんがいた。
「おれ」といい、山梨の言葉で、昔のことを語ってくれた。
あの家はうちの子分だった、なんて、僕はヤクザの親分子分の話みたいな気がした。
もっといろいろ聞いておけばよかったと思うが、あの頃は話より団子、スイカやブドウなどを腹いっぱい食べるのに夢中だった。
徳川家海軍士官・山田静五郎の遺談が、「逃げる旗本の記」にまとめられて頗る興味深い。
榎本釜次郎に属して、品川沖から逃げるのだが、乗った船が台風で銚子沖で遭難、命からがら上陸した銚子で幕府びいきの博奕打ちの親分にかくまわれる。
同僚の杉本太郎といっしょで、おたがいに6連発のピストルをもっていて、追っ手に見つかったら、おたがいに五発づつは敵を撃ち、最後の一発で死のう、と約束、ことあるごとに「おい、五発五発の一発だよ」と言い交わす。
ヤクザの手配で舟で江戸に戻ろうとする。
とちゅうで小料理屋で昼食をとるときに、船頭が「殿様方は口を利かずに黙っていておくんなさい」という。
いくら半纏股引姿でも口を利くとばれちゃうのだ。
僕は若い頃、タクシーに乗ると、運転士の訛りから出身地を当てるのが得意で、よく(まぐれもあったが)当てては、しんどい道中を楽しく過ごして帰宅した。
きっと今はそんなに当てられないと思う。
僕の耳が遠くなったのと、運転士の訛りが少なくなったような気がする。
味がなくなったなあ。
なんかもうけたような気持でベランダの洗濯物を眺める。
大掃除を終えてストレッチをしながらテレビをみていたら、絞りの風呂敷やTシャツの店が出てきた。
俺にもこういうのあったよなあ、といったらがさごそやって出てきたので、汗に濡れたTシャツを着替えた。
ちんどんやみたいだな。
きのうは、ジョン・ハートの「アイアンハウス」というギャング小説を半分ほど読んだ。
でも、その話の前に、子母澤寛「幕末奇談」から、もう少し引用する。
子母澤寛は古老から話を聞いて、そのなかから面白い話をこういう雑談にまとめたり、小説にもしたらしい。
「古老ばなし」という文章の冒頭の部分。
私はこの頃、日光の円蔵(注・国定忠治の軍師)が、明治九年まで栃木の今市に歯医者をして生きていて、墓もここにあるという話を、そこのお年寄りから聞かされてびっくりしました。もっとも、これはなかなか信用は出来ませんが、私だけは元来、古老のはなし、史実的伝説などというものは「それはそうでない、こうだ」というはっきりした反証を挙げ得ない限り、努めて信用して聞くことにしています。こういう話のできる古老なるもの、いまは少なくなったのではなかろうか。
よく申す通り、いわゆる古老とかその事件の当事者の遺族とか子孫という人をたずねて話を聞くと、それが全然講釈種の逆輸入であったり、その聞きに行ったこの私自身が小説として書いたことを、そのまま誠しやかに聞かされて、どうにも、吹き出しそうになって困ったことなどがある。私は、その程度の古老の話をさえ喜んで聞いて帰るのです。
それは、老人の話そのものに、いうにいわれぬ味があり、面白さがあるのが好きなので、何というかこう枯れ切った淡々とした味、口下手ならば口下手なだけ、不思議な話術のうまさを感じて、余計な考証なんかどうなるものか、そんなことで、この味を壊すのはいかにも惜しいという気になるんです。所詮歴史家じゃアないんですから。
だが、余り話がうまくて、べらべらとしゃべるお年寄りは却って面白くありませんな、もう七十を二つか三つ出たくらいの人が、ぽつりぽつりと土地訛りで、今は全くなくなっている昔の言葉などをちょいちょい出して話をしてくれる趣きなどは、全く、一寸、外にはないいい味のものです。
またいたとしても、子母澤のように喜んで聞く人はもっと少ないのではないか。
僕の本籍・山梨石和の親戚に、そう、僕が小学生の時に、もう高砂の媼みたいなおばあさんがいた。
「おれ」といい、山梨の言葉で、昔のことを語ってくれた。
あの家はうちの子分だった、なんて、僕はヤクザの親分子分の話みたいな気がした。
もっといろいろ聞いておけばよかったと思うが、あの頃は話より団子、スイカやブドウなどを腹いっぱい食べるのに夢中だった。
徳川家海軍士官・山田静五郎の遺談が、「逃げる旗本の記」にまとめられて頗る興味深い。
榎本釜次郎に属して、品川沖から逃げるのだが、乗った船が台風で銚子沖で遭難、命からがら上陸した銚子で幕府びいきの博奕打ちの親分にかくまわれる。
同僚の杉本太郎といっしょで、おたがいに6連発のピストルをもっていて、追っ手に見つかったら、おたがいに五発づつは敵を撃ち、最後の一発で死のう、と約束、ことあるごとに「おい、五発五発の一発だよ」と言い交わす。
ヤクザの手配で舟で江戸に戻ろうとする。
とちゅうで小料理屋で昼食をとるときに、船頭が「殿様方は口を利かずに黙っていておくんなさい」という。
いくら半纏股引姿でも口を利くとばれちゃうのだ。
旗本でもわれわれのような少禄の若い者などは、俗にいうべらぼうめ言葉、あれを使ったもので、「べらンめえ」とはいいませんが二た言目にはよく「べらぼうめ」といったもので「ござらぬ」なんて言葉は使わない。あれは「ござんせん」「そうじゃアない」「そうじゃアねえ」「自分」を「おいらァ」「おいらアとんと知らねえから、おおきにがっかりしたよ」などといった。「ありますか」は「ござんすか」というような風でした。二つ三つ口を利くとすぐわかったものです。
きっと今はそんなに当てられないと思う。
僕の耳が遠くなったのと、運転士の訛りが少なくなったような気がする。
味がなくなったなあ。
駒沢飯嶋菓子屋の「早梅」、まもなく閉業の老舗の味わいを惜しんだ。
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tsunojirushi at 2023-06-24 18:02
おお、素敵なシャツ。タイダイ、何故だか好きなんです♡
初夏の花々(と惜しいお菓子)の写真も堪能しました。
初夏の花々(と惜しいお菓子)の写真も堪能しました。
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saheizi-inokori at 2023-06-24 18:24
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stefanlily at 2023-06-25 02:10
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saheizi-inokori at 2023-06-25 09:39
by saheizi-inokori
| 2023-06-24 13:16
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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