生の落語はいいな 龍志・志ん輔・遊雀三人会
2023年 06月 20日
きのうは、心優しいお方に、引きこもってばかりいないで、たまには落語を聴きにいらっしゃい、と誘われて国立演芸場にいそいそ。
歌の文句じゃないけれど、あれは三年前、新宿紀伊国屋ホールで一之輔を聞いて文句をつけたのが、生落語の最後だった。→一之輔の精進を期待する 春風亭一之輔独演会@紀伊国屋ホール
三茶の歯医者で治療用義歯の型を取って、Yモバイルショップでスマホの不具合について訊ねて、カフエで子母澤寛の「幕末奇談」を読んでいたら、おもしろくて夢中になって、ちゃんとした晩飯を食う時間がなくなる。
永田町駅も久しぶりだから、あんなになんども通った出口が分からなくなって駅員に尋ねたが、ぶっきらぼうな答え方は、ひでえもんだった。
コンビニで握り飯を買って、ベンチに座ると、すぐに雀が一羽寄って来る。
遊雀がお出迎えの使者を送ったのだ。
よしよし、米粒を少しづつやって、いっしょに食べた。
前座のいっ休が「牛ほめ」。
国鉄の同期のN君にちょっと似た坊主頭の一休さん。
懐かしい寄席の噺を基本に忠実にきかせてくれた。
遊雀 「悋気の独楽」
あがるやいなや、「いやんなっちゃう」、楽屋で志ん輔と龍志とが「年寄りが病気の話ばっかり!」、なに遊雀・58歳もなんたらの手術の話をしていたのだ。
三味線のえりさんの酒癖の悪さもネタに、伝法なため口で会場の温度をあげる。
本題は単純な噺、それだからか、「旦那の独楽がお妾さんの独楽の方に行くと、(今夜は)御泊り」のところを「お帰り」と間違えて、そのあと続けてごちゃごちゃになる。
「動揺しています、さいごまでたどり着けるのか」と笑いに変えてはいたが。
志ん輔 「甲府い」
国立演芸場、劇場が建て替えになるので、ここの会もあと二回というのでびっくりする。
二つ目のときに、初めてお座敷によばれて噺をした思い出噺。
途中から芸者が大勢入ってきて、「あら、こちらもうおひとついかがですか」などのうるささに落語を聴く雰囲気にならず、途中で帰された、その話で、大師匠の志ん生が読売巨人軍の納会に呼ばれて、選手たちのうるささに落語にならず、それがもとで倒れた話を思いだした(僕のアンチジャイアンツのひとつの理由)。
噺家たちが楽屋で病気のことばかり話したように、客席の年寄りもなにかといえば、病気のことを想うのだ。
浅草演芸ホールで、本題に入るのを待っていたかのように、席を立って、大きな声で「ごめんなさい」「おやいい服だね」などと他の客に喋りながら外にでていったかと思うと、客席に残っている友達と「しいちゃん!どこ行った?」「しっこ!」「売店で何買う?」「なにがあるの?」と大声でやりとりするお婆さんの噺、こういうのこそ、噺家の表情や臨場感があって生で聞くと面白さが際立つ。
本題は、甲府から志を立てて上京した若者が掏摸にあって難儀しているのを、善き豆腐や夫婦が救って、あげくに婿にするという、ほのぼの明るい僕の好きな噺だ。
どういうのだろう?志ん輔は相変わらず、考え過ぎているのではないか。
豆腐やの大将がなんだか大店の大旦那のようだ。
もっと気さくで軽い親方になれないのか。
あちこちに工夫をこらしたセリフが用意されているのだが、それが全体のリズムに乗っていないから、悪目立ちしてしまうような気がした。
というより、ぜんたいとしてリズム感がない。
それでも、かつての志ん輔の重さからすれば、ずいぶんよくなってはいるのだが。
龍志 『五人廻し」
遊雀58歳、志ん輔69歳、そして龍志は74歳、その龍志の噺がいちばんよかった。
立川流で寄席に出られなくて途方に暮れているときに志ん輔から声をかけてもらって、二人会をずっと続けてきたことなど、志ん輔に感謝の言葉からはじめて、むかしの遊郭のこと、自分が玉ノ井の近くで育ち、遊郭の女性たちに着物を作っていた祖母の使いで、着物を届けては、お姉さんたちに可愛がられた、その可愛い坊やがこんな爺になって女郎買いの噺をするのだ。
一人の女郎が一晩に何人もの客を取る「廻し」、関西にはない風習、まあ、金のない客が相手だ。
一晩待っても、お相手が登場しないで、もんもんとして朝を迎えることもざらだったらしい。
そういうところに「遊び」の面白さがあるのだから、怒ったりしては無粋というもの、といっても、誰だってそりゃ、いらいらするはずだ。
4人のもてない男の、いらいらぶりを、吉原に行ったことのない噺家が面白おかしく話して、吉原のこと自体を知らない客が大笑いする。
喜助という若い衆に当たるのだが、その当たり方が四人四様、「三歳のときから、吉原に出入りして、吉原の歴史から、店の数、女郎や芸者の出身地や経歴、どこのおでん屋の汁が甘いか、犬の糞をみてどの犬のものか、、分からないことはない、だから払った一円を返せ」と、聞き取りにくいくらいの早口で啖呵を切る男、「四隣沈沈閨中寂寞、人跡途絶え、寂として声なきはちと心細ォい!」と漢語調で高飛車に出る軍人、「この閨中でげすな、ええ、まあ、お床いりのときに、ま、そばに姫なるものが侍っていたほうが、、よろしいか?あ、それともいま、拙のように、ねえ?幅広くゆったりと寝床に一人でいられる方が仕合せか、う、尊君にちとその辺のところを、ちと承りたい」とねちねちと絡む酢豆腐の若旦那みたいな男、「いやあ、ちょっくらここで、紛失もの(おいらん)があるで探してるだい」と畳をあげてみせる田舎者。
描かれる世界、言葉のひとつひとつ、そのくすぐり、もう現代っ子には理解困難かもしれない。
文楽や狂言のようになってしまうかもしれない。
でも僕はこういうのがいいのだ。
解りやすく、誰でも爆笑するように変えてしまわないほうが。
こういう噺を喜ぶ客のために、龍志よ、がんばって長生きしてくれ。
仲入りのときに、ロビーにでたら志ん輔の奥さんが娘さんに付き添われて人々と話しをしている風だった。
さいごは、遊雀 「くしゃみ講釈」
志ん輔が客の生態を話したのを受けて、彼のじっさいにみたという話。
客席で椅子の下を覗いている女性に「なにかお探しですか」と高座から尋ねると「はい!おじいさんがいないのです」、そのあともしばらく落語にならなかったという。
現役時代に、労働組合の幹部が課長を探して僕のところに血相を変えて「どこに行った?」と聞きに来たので(難しい局面で、課長が逃げていると踏んで)、まじめな顔をして机の引き出しを開けたりデスクマットを上げて探している風で「いないなあ」とやったら、彼らが噴出してそのまま引き上げたことを思いだした。
150センチ台の背の低い課長だった。
憎い講釈師に恥をかかせよう、そのために客席で火鉢で胡椒をいぶして、くしゃみで話ができないようにしよう。
悪い相談をした、その講釈師に恨みのある男が、そうとうな健忘症で、乾物屋で胡椒を買うのに、なにを買うのか忘れてしまう。
覗きからくりの「八百屋お七」をうたって「小姓吉三」のことを、思い出そうとする。
そのトンチンカンで笑わせた。
やはり生の落語はいい。
会場の笑いが僕にも作用して笑いの相乗効果がある。
噺家の会場の空気に反応した芸の変化が面白い。
なんといっても、噺家の表情や仕草は音で聴く落語では想像するしかないのだ。
ここに引っ張り出していただいたことをしみじみと感謝しつつ家路についた。
歌の文句じゃないけれど、あれは三年前、新宿紀伊国屋ホールで一之輔を聞いて文句をつけたのが、生落語の最後だった。→一之輔の精進を期待する 春風亭一之輔独演会@紀伊国屋ホール
三茶の歯医者で治療用義歯の型を取って、Yモバイルショップでスマホの不具合について訊ねて、カフエで子母澤寛の「幕末奇談」を読んでいたら、おもしろくて夢中になって、ちゃんとした晩飯を食う時間がなくなる。
永田町駅も久しぶりだから、あんなになんども通った出口が分からなくなって駅員に尋ねたが、ぶっきらぼうな答え方は、ひでえもんだった。
コンビニで握り飯を買って、ベンチに座ると、すぐに雀が一羽寄って来る。
遊雀がお出迎えの使者を送ったのだ。
よしよし、米粒を少しづつやって、いっしょに食べた。
前座のいっ休が「牛ほめ」。
国鉄の同期のN君にちょっと似た坊主頭の一休さん。
懐かしい寄席の噺を基本に忠実にきかせてくれた。
遊雀 「悋気の独楽」
あがるやいなや、「いやんなっちゃう」、楽屋で志ん輔と龍志とが「年寄りが病気の話ばっかり!」、なに遊雀・58歳もなんたらの手術の話をしていたのだ。
三味線のえりさんの酒癖の悪さもネタに、伝法なため口で会場の温度をあげる。
本題は単純な噺、それだからか、「旦那の独楽がお妾さんの独楽の方に行くと、(今夜は)御泊り」のところを「お帰り」と間違えて、そのあと続けてごちゃごちゃになる。
「動揺しています、さいごまでたどり着けるのか」と笑いに変えてはいたが。
志ん輔 「甲府い」
国立演芸場、劇場が建て替えになるので、ここの会もあと二回というのでびっくりする。
二つ目のときに、初めてお座敷によばれて噺をした思い出噺。
途中から芸者が大勢入ってきて、「あら、こちらもうおひとついかがですか」などのうるささに落語を聴く雰囲気にならず、途中で帰された、その話で、大師匠の志ん生が読売巨人軍の納会に呼ばれて、選手たちのうるささに落語にならず、それがもとで倒れた話を思いだした(僕のアンチジャイアンツのひとつの理由)。
噺家たちが楽屋で病気のことばかり話したように、客席の年寄りもなにかといえば、病気のことを想うのだ。
浅草演芸ホールで、本題に入るのを待っていたかのように、席を立って、大きな声で「ごめんなさい」「おやいい服だね」などと他の客に喋りながら外にでていったかと思うと、客席に残っている友達と「しいちゃん!どこ行った?」「しっこ!」「売店で何買う?」「なにがあるの?」と大声でやりとりするお婆さんの噺、こういうのこそ、噺家の表情や臨場感があって生で聞くと面白さが際立つ。
本題は、甲府から志を立てて上京した若者が掏摸にあって難儀しているのを、善き豆腐や夫婦が救って、あげくに婿にするという、ほのぼの明るい僕の好きな噺だ。
どういうのだろう?志ん輔は相変わらず、考え過ぎているのではないか。
豆腐やの大将がなんだか大店の大旦那のようだ。
もっと気さくで軽い親方になれないのか。
あちこちに工夫をこらしたセリフが用意されているのだが、それが全体のリズムに乗っていないから、悪目立ちしてしまうような気がした。
というより、ぜんたいとしてリズム感がない。
それでも、かつての志ん輔の重さからすれば、ずいぶんよくなってはいるのだが。
龍志 『五人廻し」
遊雀58歳、志ん輔69歳、そして龍志は74歳、その龍志の噺がいちばんよかった。
立川流で寄席に出られなくて途方に暮れているときに志ん輔から声をかけてもらって、二人会をずっと続けてきたことなど、志ん輔に感謝の言葉からはじめて、むかしの遊郭のこと、自分が玉ノ井の近くで育ち、遊郭の女性たちに着物を作っていた祖母の使いで、着物を届けては、お姉さんたちに可愛がられた、その可愛い坊やがこんな爺になって女郎買いの噺をするのだ。
一人の女郎が一晩に何人もの客を取る「廻し」、関西にはない風習、まあ、金のない客が相手だ。
一晩待っても、お相手が登場しないで、もんもんとして朝を迎えることもざらだったらしい。
そういうところに「遊び」の面白さがあるのだから、怒ったりしては無粋というもの、といっても、誰だってそりゃ、いらいらするはずだ。
4人のもてない男の、いらいらぶりを、吉原に行ったことのない噺家が面白おかしく話して、吉原のこと自体を知らない客が大笑いする。
喜助という若い衆に当たるのだが、その当たり方が四人四様、「三歳のときから、吉原に出入りして、吉原の歴史から、店の数、女郎や芸者の出身地や経歴、どこのおでん屋の汁が甘いか、犬の糞をみてどの犬のものか、、分からないことはない、だから払った一円を返せ」と、聞き取りにくいくらいの早口で啖呵を切る男、「四隣沈沈閨中寂寞、人跡途絶え、寂として声なきはちと心細ォい!」と漢語調で高飛車に出る軍人、「この閨中でげすな、ええ、まあ、お床いりのときに、ま、そばに姫なるものが侍っていたほうが、、よろしいか?あ、それともいま、拙のように、ねえ?幅広くゆったりと寝床に一人でいられる方が仕合せか、う、尊君にちとその辺のところを、ちと承りたい」とねちねちと絡む酢豆腐の若旦那みたいな男、「いやあ、ちょっくらここで、紛失もの(おいらん)があるで探してるだい」と畳をあげてみせる田舎者。
描かれる世界、言葉のひとつひとつ、そのくすぐり、もう現代っ子には理解困難かもしれない。
文楽や狂言のようになってしまうかもしれない。
でも僕はこういうのがいいのだ。
解りやすく、誰でも爆笑するように変えてしまわないほうが。
こういう噺を喜ぶ客のために、龍志よ、がんばって長生きしてくれ。
仲入りのときに、ロビーにでたら志ん輔の奥さんが娘さんに付き添われて人々と話しをしている風だった。
さいごは、遊雀 「くしゃみ講釈」
志ん輔が客の生態を話したのを受けて、彼のじっさいにみたという話。
客席で椅子の下を覗いている女性に「なにかお探しですか」と高座から尋ねると「はい!おじいさんがいないのです」、そのあともしばらく落語にならなかったという。
現役時代に、労働組合の幹部が課長を探して僕のところに血相を変えて「どこに行った?」と聞きに来たので(難しい局面で、課長が逃げていると踏んで)、まじめな顔をして机の引き出しを開けたりデスクマットを上げて探している風で「いないなあ」とやったら、彼らが噴出してそのまま引き上げたことを思いだした。
150センチ台の背の低い課長だった。
憎い講釈師に恥をかかせよう、そのために客席で火鉢で胡椒をいぶして、くしゃみで話ができないようにしよう。
悪い相談をした、その講釈師に恨みのある男が、そうとうな健忘症で、乾物屋で胡椒を買うのに、なにを買うのか忘れてしまう。
覗きからくりの「八百屋お七」をうたって「小姓吉三」のことを、思い出そうとする。
そのトンチンカンで笑わせた。
やはり生の落語はいい。
会場の笑いが僕にも作用して笑いの相乗効果がある。
噺家の会場の空気に反応した芸の変化が面白い。
なんといっても、噺家の表情や仕草は音で聴く落語では想像するしかないのだ。
ここに引っ張り出していただいたことをしみじみと感謝しつつ家路についた。
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otebox at 2023-06-20 18:24
佐平治さんの影響か落語に食いつこうかと思うて、先ずはご近所にお住いの(筈の)雀太を覗いてます。おもしろいんです。おっすごい小三治のテイストを感じさせると喜んでた矢先に小三治へのするどい突っ込みを読みましてめげました。
応援は続けようと思います。
応援は続けようと思います。
1
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saheizi-inokori at 2023-06-20 21:25
> oteboxさん、偏屈爺の戯言などお気になさらずに、落語をお楽しみくださいませ。
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pallet-sorairo at 2023-06-20 22:16
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Solar18 at 2023-06-21 00:37
「何かお探しですか」のお話、パソコンの前で笑ってしまいました。
落語は子供時代に、ラジオでいつも父と一緒に聞いていましたが、生の話は聞いたことがないです。残念。
落語は子供時代に、ラジオでいつも父と一緒に聞いていましたが、生の話は聞いたことがないです。残念。
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vitaminminc at 2023-06-21 06:44
面白すぎる…!三人会に佐平次さんも飛び入りされた、四人会落語(?)を堪能させていただきました。胆嚢を摘出してますんでありがたや。
佐平次さんでもよしもと新喜劇みたいな真似をされることがあったのですね、課長を探すのに引き出しを開けてみせるとか(笑)
雀ちゃんとのお夕飯、生落語の臨場感……いや〜、盛り沢山で、本当に楽しかったです!
佐平次さんでもよしもと新喜劇みたいな真似をされることがあったのですね、課長を探すのに引き出しを開けてみせるとか(笑)
雀ちゃんとのお夕飯、生落語の臨場感……いや〜、盛り沢山で、本当に楽しかったです!
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寿限無
at 2023-06-21 08:43
x
確かに落語は「生」ものですね。
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saheizi-inokori at 2023-06-21 09:59
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saheizi-inokori at 2023-06-21 10:01
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saheizi-inokori at 2023-06-21 10:08
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saheizi-inokori at 2023-06-21 10:09
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福
at 2023-06-22 06:31
x
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saheizi-inokori at 2023-06-22 11:55
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ikuohasegawa at 2023-06-23 08:31
久しぶりに落語をききに行ったような気分になりました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
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saheizi-inokori at 2023-06-23 10:24
> ikuohasegawaさん、権太楼もなつかしくなりました。
by saheizi-inokori
| 2023-06-20 12:25
| 落語・寄席
|
Comments(14)