ひとりで生きる

だるいなあ。
めんどうだなあ、と思いながらもいろいろやっているうちに朝がすぎてゆく。
ベランダで靴下やパンツが日差しを浴びている。

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きのうは、小雨のなかを呑川緑道、紫陽花を見ながら歩いた。
サンダル裸足が気持ちいい。

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次第に雨が強くなったけれど、いつもの倍くらい歩いて、帰りは通学の生徒と一緒にバスで帰った。

二十代の頃、紫陽花はもっとも好きな花だった。
雨とカタツムリというお決まりの背景があの頃の僕の何に訴えたのだろうか。

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歳を重ねるにしたがって、飽きるように紫陽花をまえほど好まなくなった。
これでもかこれでもか、と言わんばかりに、いろんな種類の花が増えたのもうるさく感じた。
ほれ、凄いだろう!きれいだろう!じゃなくて、ひともとの紫陽花が雨に濡れている、そんなのが好きだ。

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でも昨日は、いろんな紫陽花の一つ一つを素直に「いいな」と見て歩けた。

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「天路の旅人」を読了。

1939年に、内蒙古(日本支配地)に興亜義塾が設立され、西川はその三期生となる。
22歳の彼が興亜義塾の寮に入るときの荷物は、ほんの少しの身の周りの物と、「吉田松陰全集」全12巻のみだった。
盲目的な愛国心と強い尊王の気持ち、さらに「人種ではなく、誠の心」「至誠」を人生の旅の武器として生きたのだ。
もしかしたら、困難を突破しようと苦労をしているときが旅における最も楽しい時間なのかもしれない。困難を突破してしまうと、この先にまた新たな困難が待ち受けているのではないかと不安になる。困難のさなかにあるときは、ただひたすらそれを克服するために努力すればいいだけだから、むしろ不安は少ない。
こういう言葉も、人生と旅の相似を感じさせる。
それを二十代後半で感得したのだ。

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インドのカリンポンで物乞いたちと共に暮らして、火葬場に死体を運ぶのについて行き、食べ物やお布施金を貰ったりするときに、皆が「オムマニペメフム」という真言を唱えるのを聞くうちに自分の心まで浄化されるような気持になる。
聖と言い、卑と言う。だが、聖の中にも卑があり、卑の中にも聖は存在する。たぶん、どこにいても、そして誰であっても、心を鎮めて、耳を澄ませば、聖なる刻を見出すことができるのだろう。
出来るだけ多くの人といっしょに旅をすれば匪賊に襲われる危険も減るから、西川は同行者がいるのを喜び、困っている人の手助けもする。
好意を寄せてくれた人に深く感謝し、全力で応じよう、そんな心性がある。
だが、彼は一人で旅をする喜びを知っていたし、一人で旅をすることが出来る男だった。

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インドの仏教やヒンドウー教の聖地をめぐる旅、祇園精舎に行く途中で、彼がある集落の一軒の庭先で、でんでん太鼓を叩き、鈴を鳴らしながら御詠歌をうたいはじめた。
老女が出て来て差しだした盆のうえにはコメと塩と漬物がのせられていた。
なんという慈悲深い喜捨だろう、と驚くのはまだ早く、そのあと数軒廻ると、二三日分の食糧が集まってしまう。
子供たちがぞろぞろついてきて、次はうちに来てくれ、どうしてうちには来ないのと大騒ぎになる。
背中のウールグに入りきらなくなったので、また明日来るからと許してもらうと大きな樹の下に案内してくれた。
そこは脱穀場になっていて、藁を集めて寝床にしろといい、近くの石を拾って竈をつくってくれる。
大人と子供が西川を取り囲むと座り込んで、御詠歌をうたってくれとせがむ。
歌っても歌っても、次も次もと果てしなくリクエストが続き、御詠歌では足りなくなって、チベットや蒙古、中国、朝鮮、しまいには日本の唱歌まで歌い、疲れ果てて、こんどはみなさんにインドの歌と頼むと、大人も子供も喜んで歌う。
日が暮れそうになったので、ようやく一人にしてもらい、托鉢でもらった食糧で豪勢な夕食をとる。
幸せな気分で、藁の上で、眠ってしばらくすると、こんどはさっきいなかった若者たちがやってきて「坊さん。俺たちにも歌ってくれ」という。
疲れていたので狸寝入りをしていると、パチパチという物の燃える音がする。
跳ね起きると、みんなが大笑い、藁に火をつけたのだ。
西川が起きたので、火を消して、改めて歌を所望する。
しかたなく御詠歌をうたい、適当なところで、また明日にしようと提案、帰ってもらう。
夜明け前に、誰にも気づかれないように、そっと逃げ出して、まるで夜逃げのようだとひとりでおかしがる。

映画にしたら感動的なシーンになるだろうな。
――いまの自分は、綺麗に欲がなくなっている。何をしたいとか、何を得たいとか、何を食べたいとかいったような欲望から解放されている。一日分の食糧があれば、どこで寝ようが構わないと思っている。水の流れに漂っている一枚の葉と同じように、ただ眼の前の道を歩いている。その欲のなさが、人の好意を誘うのかもしれない、、、。
ネパールで貧しい家の人から家族に先んじて、鍋の中身をわけてもらい、「これが仏様じゃないか」と思う。

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西川としては「幸せな」日々をすごし、これからパキスタンに入ろうとしたときに、かつて同行した日本人(蒙古人になった諜報員)が、捕まったことから彼のことも知られて、インド政府から日本に帰国、8年の旅は終る。

Commented by stefanlily at 2023-06-17 07:27
おたきさん花、おたくさ
シーボルトが紫陽花をそう呼んでいた…って以前も書きましたっけ。
中島川というのが長崎市の中枢を渡る川なのですが、この時季紫陽花が周辺を彩ります。
楠本タキ、稲母娘の墓も近くの寺町通り(他の観光名所程有名ではないけど、私は大好き)にあって、行った事は無いけど。
長崎県の隠れ、潜伏キリシタンが居た地域に寺社が多いのは政治的な理由があったのかな…
何かで読んだけどうろ覚えです(汗)
Commented by saheizi-inokori at 2023-06-17 10:18
> stefanlilyさん、長崎の寺町通り、歩いたことがあります、たしか。
シーボルト、おたきさん、長崎、イメージが重なると紫陽花の面影も変ってみえるのかもしれないですね。
長崎のタクシー、いちにち借り切って亡妻とあちこち歩きました。
とても親切だったなあ。
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by saheizi-inokori | 2023-06-16 12:19 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Comments(2)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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