自分を低いところにおく 「天路の旅人」(沢木耕太郎)

アンチジャイアンツだったのが、三年前のクライマックスシリーズでスワローズの鮮やかな巨人退治を見て、その頃から引き籠もりだったこともあり、晩酌でスワローズに声援(ほんとに声が出てしまう)することが増えた。
ことしは気候変動のせいか、はたまた岸田政権の醸す悪臭に辟易してか、燕たちの元気がなくてヤキモキ。
交流戦になってようやく得意の燕返しも見られるようになる。
村神さまも昇天されたかと思っていたら、ふたたび降臨されたけど、まだ村人に身をやつしておられる。
今日はホークスとの戦い、山川を欠いて動きの悪いライオンズには勝てたが、鷹との空中戦で小よく大を制すことが出来るか、気の揉めることである。

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「オーウエルの薔薇」の途中だけれど、一緒に借りてきたこの本の磁力が強い。

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沢木耕太郎久々のノンフイクション、「深夜特急」を連想させるような題名でもある。

いまから四半世紀前の初冬のことだった。
沢木は盛岡駅でこの本の主人公・西川一三(かずみ)に会う。
あと二、三年で八十歳になろうかという西川は、第二次大戦末期、中国大陸の奥深くまで潜入したスパイ、本人は「密偵」と呼んでいる、だった。
二十五歳のとき、ラマ教(チベット仏教)の蒙古人巡礼僧になりすまし、内蒙古から中華民国支配下の寧夏省、青海省に足を踏み入れたのだ。
そして、敗戦後もそのまま蒙古人のラマ僧として旅を続け、チベットからインド亜大陸まで足を延ばし、一九五〇年にインドで逮捕されるまで、あしかけ八年を蒙古人「ロブサン・サンボ―」(善き心という意味)として生きつづけてきた。
帰国後、彼は「秘境西域八年の潜行」という長大な書物を上梓している。

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西川は岩手県内の美容室や理容室を相手に、必要な用具や消耗品を卸す店を経営していた。
はじめて会った二人は駅構内の居酒屋風の和食屋で一杯やりながら話をすることになる。
西川は「もずくと揚げ出し豆腐」を頼み、あとは沢木がそのつもりでとった「刺身の盛り合わせ」には最後まで手を付けずに、それぞれ頼んだ一合の銚子を手酌で飲みつづける。
そのへんのふたりのやり取り。
「でも、つまみはこれだけあれば充分です。普段からあまりいろいろなものは食べないんです」
そして、付け加えるように言った。
「昼も、毎日、同じものを食べています。カップヌードルを一杯とコンビニの握り飯を二つ」
「毎日?」
「毎日」
「三百六十四日?」(店は元日以外休みなしと聞いていた)
「三百六十四日」
「夜は?」
「店の帰りに居酒屋に寄ります」
「寄って?」
「酒を二合」
「つまみは?」
「ほとんど食べません」
僕がほとんど毎日、納豆と酢玉ねぎのみ(ご飯なし)の昼飯ですますのより力強いな。
酒を二合は僕と同じ。

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沢木は、それから一年余、毎月一度、二泊三日の予定で盛岡に通う。
北上川に面して、開運橋のたもとに建つホテルの地下の「開運亭」という店で、土曜日と日曜日の午後五時半から、閉店時間の九時近くまで、酒を飲みながら話を聞く。
二合徳利を一本ずつもらい、それがだんだん、もう一本二合徳利を追加して分けて飲み、さらにはコンスタントに四合ずつ飲むようになった。

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自分の店を「狭くて、汚い店です」「人はむしろ汚いくらいの方が安心するんです。通行人が道を訊くために店にはいるのは、近隣の中ではうちが最も多いくらいのものでね」
そして、自分を低いところに置くことができるなら、どのようにしても生きていけるものです、と言った。
それを聞いて、私はほとんど反射的に奥崎謙三のことを思い浮かべていた。
戦場で死んだ戦友の名前を叫びながら、一般参賀の昭和天皇にパチンコ玉を撃って逮捕された男だ。
「ヤマザキ、天皇を撃て!」と叫んで。
奥崎の「ヤマザキ、天皇を撃て!」という危険な本を、苦労して出版にこぎつけた編集者が、独立して小さな出版社を興すことになった。
すると奥崎は、自分の本の版権を与えただけでなく、軍資金として百万円を渡し、こう言ったという。
「あんたは、商売というものがよくわかっていないのではないかと思うが、頭を下げるときにはしっかり下げなくては駄目ですよ」。
沢木は、西川の商売論を聞いて、奥崎の感覚と近いものを感じた。

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西川のことをどう書いたらよいか、迷っているうちに彼の訃報に接する。
しまった、と思っていた沢木はついていた。
西川の遺した夫人と娘に会え、話を聞くことができ、西川の膨大な生原稿を持っている編集者にもあえて、カットされたり直されたりした本を読んだだけではわからない、西川の最初の言葉に接することが出来た。
生原稿と(沢木が録った)テープを突き合わせるうちに、彼の八年に及ぶ旅が立体的に見えてくるようになった。
それを書いたのが本書だ。
半分弱一八四頁、僕も中国大陸に潜入した。
長椅子にらくちんに座って。

Commented by otebox at 2023-06-13 09:41
すごい!どこかに置き忘れている深夜特急の緊張が蘇えってきそう。
Commented by jyariko-2 at 2023-06-13 12:18
燕は水辺に低空飛行して獲物を獲得していますね
鷹はあの鋭い目とくちばし、足の爪で高いところから急降下、、、、
素早い身のかわしで鷹の上を行くでしょうか
Commented by saheizi-inokori at 2023-06-13 13:18
> oteboxさん、ワクワクしますよ。
Commented by saheizi-inokori at 2023-06-13 13:20
> jyariko-2さん、鷲に勝つたから期待してます。
Commented by rinrin1345 at 2023-06-13 18:58
凄いお話ですね。秋田の人で多田等観という人がいます。やはりチベットに1人渡った人ですが、こちらはお坊さんです。その渡ったお話を又聞きした時もすごいと思いましたが、こちらも凄そうですね。気になります
Commented by saheizi-inokori at 2023-06-13 21:33
> rinrin1345さん、西川さんが日本人としてチベットに入ったのは八人目だったかな。
半分読みましたが凄い日々です。
Commented by stefanlily at 2023-06-14 00:57
映画のアンジェリーナジョリーみたいな派手な美人がスパイだとか、現実にはあり得ないんでしょうね。
奥崎謙三は「ゆきゆきて、神軍」だっけ?、カルト的にヒットした映画もありました。
鷹が勝ちはしたけど、栗原の無安打が続いてるので😹、私は全く嬉しくないです。完全に箱(=ホーム球場、贔屓のチーム)押しではなく、栗原押しです。
敬宮さん、ご贔屓筋の周東佑京殿が守りを固うする為に出ましたえ。えらいあしの早い御仁やってなあ。何、妻子がいてると。鷹城に仮雇いの時から、支えてた六うつ年上のおなごですと。そら、しっかり者どすえ。
神宮にも塩見殿が戻るとええどすなあ。村上殿ももっと楽うに打てますえ。
Commented by k_hankichi at 2023-06-14 06:41
「天路の旅人」気になっていました。厚いので躊躇っていましたが、読んでみたく思います。
Commented by saheizi-inokori at 2023-06-14 09:56
> stefanlilyさん、ああ、この梅雨空のごとく、我が心はどんよりと重たく淀んでおりまする。
村人もテツトもノーヒット、ええとこなしのゼロ敗でした。
Commented by saheizi-inokori at 2023-06-14 09:57
> k_hankichiさん、たしかに読みでがありますが、早く終えたくないです。
Commented by pallet-sorairo at 2023-06-14 14:51
早速図書館に予約しようとしたら
167人待ちでした。
早く読んでみたいし、どうしたもんかなぁ…。
Commented by saheizi-inokori at 2023-06-14 15:59
> pallet-sorairoさん、私もかなり長い行列の末にまわってきました。
他の本を読んでいるので気になりません。なんか賞を取ったせいもあるようですね。
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by saheizi-inokori | 2023-06-13 08:38 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Comments(12)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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