どこか似ている

昨日は歯科、前回持参した四半世紀前の写真では新し過ぎるといわれて、もつと前のエントロピーの法則に抗えていた頃、すなわち半世紀前の写真を数葉持参した。

昭和44年の1月、会津坂下駅をまもなく転勤になるのでみんなと駅前で記念に集合写真を撮った。
その写真が選ばれて、当時の噛み合わせの位置に近づけることになつた。
定年退職する駅員がいたので、彼の国鉄最後の一ヶ月をいろいろ写してアルバムにしてあげたのを見ていた助役が僕にもそれをやってくれたのだった。
白一色の雪世界で、列車扱いをしている写真がある。
肩に通票をかけているのはヤラセだ。

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鉄道人生の原点である会津坂下駅での写真が八十路の僕の歯を直すのに役立つとは!
眩しそうに目をちょっと細めて前を向いている僕はこんなに長生きするとは夢にも思わなかった。
でもほんとにあっという間の半世紀だ。

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半世紀よりはずいぶん昔、西暦百年代の話、三国志(宮城谷昌光)の第二巻を読了。

若い頃人相見に「乱世の雄になる」といわれた曹操は黄巾の乱の鎮圧に召し出されて頭角を現し始める。
黄巾賊を制圧しながらも人民を殺すことに疑問をもち、ろくでもない王朝だと思う。

孫堅は、機智を働かせて海賊を退治したことから中央に名を知られ、いくつかの県の丞(県令の補佐)に任じられ、どこでも善政を施して民に慕われる。

不良がかった劉備は、寡黙だが、人を威圧する態度をしめしたことがないので、独特の雰囲気をただよわせて、年下の少年たちのあこがれの的となり、多くの知人を得た。
学識がないというかれの劣等感が、
―善く人に下る
という美点を産んだのだろう。

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世のふしぎさのひとつに、権力が増大するほど人の声が聴こえなくなるということがある。ゆえに権力者は人の数倍の努力をして人の声を聴かなければ、正常な規矩(きく:考えや行動の規準とするもの。手本。規則)を失って、幻想や妄想の尺度をもって未来をはかるようになる。

後漢時代の稀代の悪人、梁冀(りょうき)のことだ。
三国志には、今の世にも通じる教えがつぎつぎに出てくる。
悪人や公私混同(とくに世襲)を平気で行い自分の任務に無責任な連中が出てくると、あいつやこいつの顔と重なる。
自分の首を賭けて上を諫める者も大勢出てくるが、ほとんどが殺されてしまう、ひどい場合は一族郎党すべてが。
殺されても殺されてもそういう人は現れ続けるが、今は皆無なのは、この時代にそういう血統が根絶やしにされたかと思うほどだ。

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宮廷内の権力維持のみを追い求める外戚と宦官が政治を牛耳って、その地位を脅かすおそれを感じた有為の士を殺しまくっているうちに、災害は多発し、民が疲弊し、そこに太平道という新興宗教組織が勢力を伸ばす。
彼らは宮廷内の宦官の一部をも取り込んでいるが、政権は警戒心を抱くこともなく、うち過ごしていると36万人の黄巾軍となって各地の役所を制圧する。

このあたりの小型版が亡国でも進行中ではなかろうか。
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by saheizi-inokori | 2023-06-05 19:06 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Comments(0)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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