仁丹の看板

もう六月、もうもうもうで丑年じゃないのに、もうもうもう。
あと５年生きるとして、それまでにやらなきゃいけないこともあるはずだが、手をつけない。
目の前のことだけで精一杯なのだ。
今朝はこれから皮膚科だし。

祖母の歌から。

思ふこと思ふがままにいひたりし夫ありし頃をおもふこの頃

敗戦後、僕が朝鮮から父母に連れられて引き揚げて、少しの間山梨の本家に居候した。
その頃祖父は存命で、元陸軍大佐らしく子供にはとっつきにくい顔をしていた。
それでも幼い孫の僕に竹で弓矢を作ってくれたのだ。
嬉しくて、廊下でそれを打っていたら、祖父が怒って弓矢を取り上げて長押の上に置いてしまった。
僕の祖父の思い出はそのくらいだが、祖母にとってはなんでも語り合える夫だったんだね、もっと話をすることが出来るまで長生きして欲しかったな。
伯母と二人で暮らして、神経質で厳しい伯母に叱られることが多いように見えた晩年、淋しいこともあった祖母にももっと話をしに行ってあげたかった。

母の句。

仁丹の赤き看板青田中

仁丹の看板を見なくなった。
野立て看板、汽車の窓から見えた田んぼの中の看板も少なくなったんじゃないだろうか。
あれは煙を吐く蒸気機関車の旅に似合う。

遠くに見えてだんだん大きくなって、来たと思うとこんどはだんだん小さく見えなくなっていく風情が懐かしい。
新幹線じゃね。
赤い仁丹、黒い菅公学生服などが記憶にある。
金鳥蚊取り線香や武富士なんかもあっただろうか、７２７というのも。
汽車が走るにつれて、見慣れぬ看板が出てくると、ああ、知らない町に近づいているんだという感じがして、いっそうわくわくしたもんだ。
母はどこで仁丹の看板を見たのだろう。