岩倉具視~チコちゃんに叱られないように

昨日は、暑いような寒いようなで、半袖Tシャツで本を読んでいたらクシャミの連続、頭がボアン、夕方雨中の散歩を止めた、ほんとに珍しいことだ。
豆腐を買い忘れていたので、近所のローソンに下駄をつっかけていった。

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外に出てみると霧雨になっていて、とてもいい空気。
膝のサポーターもしないまま、豆腐をぶらさげて近所を一回りしたら、すっきりした。

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9時間も寝て8時起き、なんかとても面白くて難しい公式を教えてもらっている夢の続きをみたくて又寝をしたのだ。
貨物何とかという、今まで知っていた世界と全く違う世界の原理を要約した公式が赤い枠で囲ってある。
それを理解できる学力がないことに気づいて、そうだそんなことより、期末試験の勉強をしないと卒業できないことにも気づいて、ああ、これは夢なんだから大丈夫、卒業はしたのだと自分に言い聞かせている。
あの赤い公式、今夜はその神髄に触れることが出来るかな。

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寝坊をすると、一日が半分になったようで、さなきだに短い余命がますます蚕食されていくような気がする。
しかし、もう少し寝られると布団にもぐりこむ喜びは大きいなあ。
母が、しょっちゅう「寝るほど楽は無かりけり」といっていたのを思い出す。

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大佛次郎「天皇の世紀 7」を読了。

岩倉具視は、五百円札の顔になった男だが、さて、具体的にどんんことをした男ですか?
僕は本書で始めて知ったことが多い、チコちゃんに叱られるな。

ただの侍従で、百五十石の貧乏公卿だったが、千種有文とともに、皇女和宮に供奉して江戸に下り、天皇の攘夷などを命ずる政治的諸条件を幕府に示し、難色を示す幕府を押し切って将軍家茂自筆の誓書を受けて帰京する大任を果たし、がぜん注目されて翌年は島津久光が兵を率いて上京、近衛忠熙、中山忠能、三条実愛と会って、幕府に将軍の京都常駐、雄藩の政治参画などの政策実行を迫る勅使を派遣したときも、舞台裏をまわした岩倉が勅使に擬せられたが、京都を去ることが難しいと、大原重徳が勅使になった。
岩倉具視が画策したことで、無事を祈る公家堂上人ばかりの京都では三百年来未曾有の事だった。

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しかし、その頃は時期尚早、幕府にも人材がいたし、形だけで実質は失敗に終わる。
その後久光の企画は長州藩や過激な躁狂の志士たちが、これを出し抜いて倒幕運動を起こし、岩倉は君側の奸と目されて、志士たちの天誅の目標となる。
嫉妬猜疑、風潮に流される公家たちは朝廷に迫って岩倉を追放せしめる。
倒幕の信念、誰よりも早くから強固な岩倉をして佐幕の大奸としたのだ。
スケールは小型だが、いまの与党政治家やチンケな評論家、そしてSNSの軽挙喧騒に似ている。

身の安全を図って、坊主に身をやつして転々と逃げる岩倉は洛北の岩倉村に3年ほど蟄居する。
西芳寺にいたとき肥桶をかついでよろめいて寺のものに笑われた時に、「田舎の事も見習うべきだ。炊飯灌糞の如きは、女子供でもできることなのに、士大夫のくせに慣れていないと、人に笑われる始末だ。いわんやもっと大事な事においておや」といったという。
またしても亡母が肥桶を担いで僕たちの食采を育てたことを想う。
貧乏な家に生まれ養子に行った人物なので、困苦や不足に対し、強靭な抵抗力があった。他の公卿のように他人の顔色を見て、右し左したのと違って、腰を据えて現実のきびしさに対する性格の強さがあった。権力を楯にしないで、自我を押し出す者は公卿のなかに少なかったのである。貧乏が彼の親であった。借り着をしない現実的態度が身についた。
世の動きとは隔絶された洛北で暮らしていたが、王政復古の志は微塵も変らず、岩倉は公卿たちを仁義智信勇の基準で評価し、有為の者とそうでない者に分類した。
国鉄改革の前に、かの葛西敬之が、僕たちを分類し、僕をA級戦犯としたのに似ている。

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京都の情勢に変化があって、ようやく岩倉のもとに心ある公家や武士たちが集まるようになる。
岩倉は、薩摩の大久保一蔵や小松帯刀に書を以て、今こそふたたび、あの将軍の京都在住、列藩の政治参画などを実施すべきだと説く。
倒幕を内に秘めた策であるが、なぜか薩摩からの返答がない。

出入りする志を共にする者たちを通じて宮中の工作をする。
人を見て法をとけ、人物ごとに、その説得の仕方を細かく教える。

下級公卿たちに衆を頼んで直接天皇に会って、「諸藩を召集する、いままで幽閉されていた者たちの赦免、長州征伐軍の解兵」を書にして、じつは朝政の改革一新を図り、岩倉入道の内心は幕府の解体をめざすのだ。
22人の公卿たちが簾内の天皇に会い、代表の大原重徳がこれをとうとうと述べる。
列席していた佐幕の二条関白、賀屋宮朝彦親王の失政を弾劾する。
天皇の顔色が変わった。
その時点では、関白たちは岩倉の策動であることに気付いていなかった。

この上奏自体は表面的には失敗に終わるが、壁のように決して頷かない世界を強く揺り動かした。
彼は一橋慶喜本人は知らなかったけれど、まことに油断ならない敵だった。
慶喜が将軍就任を辞退したら、そのまま王政復古に突き進めといい、新たな朝政がなすべきこととして、海軍設置、親兵設置、文武の学校設置、国産物計査、土木を起す順序の策定、貧民救助、松前以北の開拓、人選任用など、それまで朝廷が白紙のままであったことについても考えていた。

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もうひとつ、大佛次郎は「風通しの悪い場所に一団に塊って住む人たちが、隠花植物のように、ひとりでうごめいて妄想の花を咲かせるのだろう」と宮中の女性たちが毒殺説の発生源であることをほのめかし、毒殺の事実自体にはまったく否定的だが(岩倉のイの字もでてこない)、孝明天皇の急死について毒殺説があって、その背後に岩倉の存在を上げる説があるようだ。
孝明天皇が亡くなっていちばん得をしたのが、岩倉だからというようだ(僕はその説をちゃんと読んではいない)。
福島行一は、解説で「孝明天皇毒殺説は今なお残った幕末史上最大の謎である」と書いている。

Commented by stefanlily at 2023-05-31 01:49
岩倉具視! 宮中の女性たち。
是非有吉佐和子「和宮様御留」をお読み下さいませw
膨大な資料と取材を基に歴史学者も真っ青な見解と洞察力でエンタメ要素も盛り込み、見てきたような嘘にも説得力を持たせる…有吉佐和子の真骨頂です。
未読の方にはネタバレになるから、詳細は書きま千賀w
交流戦開始。天候が気になりますね。誰も怪我なく日程消化できると良いですね
Commented by tona at 2023-05-31 09:33 x
生まれながらの公卿、洛北の岩倉村に3年ほど蟄居後、策動家に変身、洋行までし、いろいろ潜り抜けて、いわば怪物のような人だったのですね。
この辺りの公卿では抜きん出て有名です。

疎開で田舎の小遣いさんをやったあと、東京での生活も大変で、その後茅ヶ崎に自宅を買って、私の母も庭に穴掘って始末していました。野菜も作っていました。水は井戸で、風呂はそれを汲んで、など苦労話がずらりと浮かんで、月一度墓参に行かないと気が済まない感じになってきました。ただsaheiziさんと違うのは父がいたことです。お一人でですからその苦労たるや大変なものだったと。今の私の生活、甘ったるすぎますね。
Commented by saheizi-inokori at 2023-05-31 10:22
> stefanlilyさん、好評を博した作品ですね。
ここで勧められたのはなにかの因果、是非読みます。

Commented by saheizi-inokori at 2023-05-31 10:27
> tonaさん、甘ったるすぎる,Me tooです。
そんな状況じゃないのに。
Commented by noboru-xp at 2023-05-31 10:58
「寝るは楽起きて地獄の夢を見る 寝続けにするこれぞ極楽」
少欲知足で在りたいものですが難しいですね。
Commented by saheizi-inokori at 2023-05-31 11:57
> noboru-xpさん、小欲にはなっても足るを知らないのですね。
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by saheizi-inokori | 2023-05-30 13:40 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Comments(6)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori