感動すること
2023年 04月 03日
グレングールドの特集、いろんな人の話もちゃんと聞けば面白いのだろうが、ちゃんとになるまでの辛抱がなくて、本を読みながら聞き流していて、番組の最後のほうでかかった、この曲(第二楽章)に捕まった。
今朝、第一楽章から聞き直してみると、昨日のことなのに、どこで捕まったのか、判然しない。
たぶん、聞き覚えのある第二楽章の後半部分、美しい夕焼のなかをぽつぽつと歩いて行くようなところかもしれない。
感動とは、思いがけない時に思いがけないことでもたらされる。
読んでいた本と関係があったのかもしれない。
本にもラジオの音声にも関係なく白昼夢のように脳内で動いていた想念とシンクロしたのかもしれない。
何でもいいから感動すること!感動している間は生きているのだ。
夕方の散歩は、近くの暗渠の上につくられた呑川緑道。
美しい音楽の音の強弱のように、花吹雪が変化する。
雪よりもはかなくて、写真には捉えられない、人間の目・頭で捉えるのだ。
「天皇の世紀 5」。
水戸の天狗党の義挙は失敗に終わるが、八月十八日のクーデターで、京都から追われた長州の有志たちにとっては、かぶせられた蓋が外れて、外光が一時に差し入ってきたように感じせしめた。
クレージーな攘夷の熱は、火となって燃え上がる。
長州藩はもはや武士たちが秩序だって統制することができなくなっている。
下級武士、町人、農民、浮浪人などが組織する奇兵隊をはじめ、遊撃隊、八幡隊、義勇隊などが力を持ち、当面の政局が左右される。
藩の方針も定まらず、久坂玄瑞、桂小五郎、宍戸九郎兵衛、北条頼兵衛、高杉晋作など、下士に近い有志達の周旋が実質的な働きをして、諸藩のなかに工作して、運動の下地を作り、転回を図るようになった。
藩の上層部は、なんとかして穏やかに朝廷に申し開きをし、雪冤したいが、使者が京都に入ることすら許されない中で、過激な連中が突き上げて、ついには藩としても「水の満ちたダムから放流する」ように、遊撃隊のなかから六十名、次いで若名と上京を命じる。
京都守護職はふたたび会津容保となる。
天皇は誰よりも彼を信頼し、「万事内密で」「他聞を禁じ」、彼にあることを依頼するから、聞いてくれるかとくどい手紙を書く。
恐縮、感激した容保が、イエスと答えるが、その依頼の内容が明かされる前に、幕府から容保に長州征伐に当たれという命令が下る。
島津久光は公武合体により時局を解決しようと、建言書を提出する。
その内容がそのまま天皇から、上洛した将軍に対する勅諚となる。
松平容保、松平慶永、山内豊信、伊達宗城、島津久光などを枢要な幕議に与らせて、その意見を聞くように将軍に沙汰がある。
一橋慶喜、28歳は朝廷の参与にして将軍の後見職だったが、幕閣からは反幕とみなされ、幕府をリードすることもできず、参与たちから見ると、決断力がなく物足りないのだ。
一方、島津久光は勅召によって、一万五千名の兵を率いて上洛、自由思うがままに行動する。
薩長の仲は険悪であり、京都の情勢は風雲急を告げる。
長州・上関を航行中の薩摩の船を義勇隊の者が焼いてしまったときの、驚くべきエピソード。
義勇隊は薩摩人・大谷仲之進の首を斬る。
しかし、薩摩は憎いが、二度も薩摩船を焼いてしまったのでは、天下に対し申し訳ないし、薩摩の感情を和らげるために、下手人を出して腹を切らせることにする。
誰か国家のために命を捨ててくれないかと言って、手を挙げた者が一人、さらに説得してもう一人を下手人とした。
京都には入れないので大坂の南御堂の前で、塩漬けにした大谷の首を獄門(罪状は外国貿易)にして、二人に腹を切らせた。
それを聞いて実際の下手人は切腹して果てる。
この件は大阪のみならず天下の評判になり、諸藩の同情を惹き起こした。
なんとも、稚拙というか単純なことだが、その責任感は大したものだ。
この事件も、藩が取り仕切ったのではなく、義勇隊が考えて実行したのだった。
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at 2023-04-04 00:36
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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saheizi-inokori at 2023-04-04 10:01
> 鍵コメさん、「花も嵐も踏み越えて鉄道人生44年」
https://syuppoppo.livedoor.blog/
です。よろしくどうぞ。
https://syuppoppo.livedoor.blog/
です。よろしくどうぞ。
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by
saheizi-inokori at 2023-04-04 13:28
by saheizi-inokori
| 2023-04-03 12:13
| 能・芝居・音楽
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Comments(4)