コロナ禍の自粛、引きこもり三年、人生観も変わったような気もするが、三十年近く続いた鬼無里会の呼びかけには一も二もなく、喜び勇んでカミさんも一緒に両国まで出かけた。
国鉄、いやJRに乗るのは久しぶりだ。
渋谷駅で券売機のない改札口にとまどったり、階段が多いのにカミさんがブツブツ言うのを、内心は共感しながら、JROBとしては、田園都市線の駅と違って、たくさん改札口があるから全部に手が届かないのだよ、と宥めたりしながら、代々木で乗り換え、総武線各駅に乗る。
コロナ禍以前、とくに学生時代からなんども乗り降りした代々木駅やお茶の水とか水道橋が、格別な懐かしさを感じさせる。
両国駅は僕が国鉄千葉局に赴任したころは、まだ総武本線の始発駅で蒸気機関車が勇姿をみせた。
昔の始発ホームへの通路がステーションギャラリーと銘打たれて、両国駅の歴史を伝える写真が展示されていた。
おお!僕のいた頃の貨物取り扱い廃止のことも載っている。
駅の隣の国技館との間、旧駅舎を使った飲食店の集まり、その中の「日本橋やぶ久」が、幹事が選んだ店。
かつては真ん中の土俵の周りにも飲食店があって、そこにも来たことがある。
集まったのは10人、鬼無里会のコアのシニアだけにしぼったのだ、平均年齢傘寿。
三年ぶり、みんなちっとも変わらず、コロナになったのは若い幹事一人だけ、二人に一人が罹患したとかのコロナ禍でよくぞ頑張った。
蕎麦尽くし、蕎麦の稲荷などいろいろ出てむしゃむしゃ食ったが、飲み放題の酒、「大七」「司牡丹」「春鹿」などなどを飲みつつ、ひたすら久闊を叙しての、アハハアハハのバカ笑い、これだけ笑ったのはコロナ前以来だ。
つくづくいい仲間たちだと、この会に巡り会えただけで、人生に悔いはないような気分になる。
(帰りのバスの中から)
これからは楽しむだけで生きていきましょう、別れ際に一年年上の男が言った言葉。
そうだね、と答えたが、サテ何を楽しむのか、それが問題だ。