主よ御許に近づかん
2023年 03月 20日
お父さんの前には酸素ボンベらしい車がおいてある。
通り過ぎようとしたら、お父さんが「とうとう桜も咲いたね」という。
「え?」聞き直して、すぐに意味が取れたらしく、「うん」と答えたお母さんはと見ると、リスのように両手でクッキーをかじろうとしているのだ。
のどかである(傍目には)。
高校野球のことを書いたので、ちょっと作新学院と大分商業の試合をテレビでみた。
大分商の応援団リーダーは女性、それが学ランで校歌の指揮を執るのだが、上がっているのか合ってない。
そのうち合ってきたのでほっとした。
作新学院のピッチャーの制球が乱れていることもあって大分が優勢かなと思っているうちに作新学院が先制点を取ってしまった。
小学生のころ、長野商業がまいとし文化祭でバザーをやるのを見に行くのが楽しみだった。
今思うと変な話なのだが先生が「やって欲しいこと」というアンケートみたいなのを取った時に「お店屋さんごっこ」と書いて、叶えられた。
何を売り買いしたのか、覚えていない。
国鉄からJRになって駅ビル経営などという、就職するときには思っても見なかったことをやらされても、面白くやれたのは、お店をやるのが好きなのかもしれない。
しかし、就職活動で商事会社を冷やかし半分で訪問した時に、人事担当者に「入りたければ入れてあげるけれど、この仕事は商売が好きじゃないと詰まらないから、よく考えて」と言われて、ああ、僕には向いていないと思ったのだし、それは間違ってはいなかった。
高校野球を見ながら、そんなことを考えていた。
ラジオで、映画「タイタニック」で演奏されたという「主よ御許に近づかん」をかけたのを、本を読むのを中断してしみじみと聴いた。
チャペルのある寮で大学三年から四年をすごしたときの礼拝でときどき歌いもし、伯母の葬儀でも歌った讃美歌。
三年のときにその寮の会報の編集に当たった時に、特集として「あなたの職業観」のような題で、キリスト教信者として「召命(ベルーフ)」、職業を神から命ぜられた使命と考えているか、を卒業生たちにアンケートを取って、(拙い)分析をした。
組織のエリートとして私企業の利益追求に貢献するのはキリスト教の教えに反するのではないか、そんな子供っぽい理屈もこねた。
卒業後も会報は毎年送られてきて、外会員(OB)たちの動向の一部を知ることができるが、学者になった人たちだけでなく、民間企業に就職した人にも、一筋の道を歩み続けている方が多い。
謙虚に続ける、それがキーワードだ。
けさ、上の動画をアップするときに映画の場面も見た。
この映画をみた若い女性が、是非ご覧ください、どんなに(返すのが)遅くなっても結構ですから、といって、DVDを貸してくれたのに、ずいぶん長いこと見ないままでいて、とうとうそのまま返した。
DVDで映画を見ることが苦手だったこともあるが、あまりに売れた映画であることや悲劇であることも進んでみようという気にならなかった理由だ。
今、初めて映画のクライマックスと思しいシーンを見ると、なんとまあ、胸の詰まることか。
自分はどのように主の御許に近づくのだろうか、と未熟な心の準備に暗澹たる思いがした。
讃美歌、次から次と思いだされます。