桜にはすき焼きが似合う
2023年 03月 15日
ほとんどが固い蕾だけれど、たしかこの辺に早咲きの木があったはず、と、あった!
いっせいに咲いていっせいに散るのが桜の味わいかとも思うが、こういう風に早いのや、いつまでも咲き残っているのも、格別の風情がある。
今日からしばらく花追い人になるのだ。
桜が咲くと、すき焼きが食べたくなる。
肉の色、匂いなどが満開の櫻にマッチする。
子どもたちの入学とか卒業、転勤で引っ越しなどのときに手っ取り早く食べられるご馳走としてもすき焼きは譲れない。
鍋を囲んで賑やかに食うすき焼きには祝祭感がある。
志ん輔のブログで豚スキを食う話がのっていて、すかさず僕もカミさんに豚スキをねだった。
牛肉では何かと畏れ多い。
会津坂下にいる時は牛肉は会津若松まで行かないと買えないので、居酒屋に行くと豚スキが出た。
屠殺場があったから、新鮮なモツもうまかった。
それが僕の豚スキ事始めだ。
亡妻が長男の出産を控えて東京にいて単身暮らしのときに義兄が訪ねてくれたので、座敷に七輪をおいて豚スキをしたのはいいけれど、宴たけなわに煙があがって大慌て。
下に何も敷かなかったので、畳が焦げてしまったのだ。
地中海に浮かぶ美しいミンゲル島(架空の島ではあるが)を襲ったペストとの戦い。
島を閉鎖するにあたって、ギリシャ正教徒の多くが脱出を図るが、島の外に事業や別宅、血縁者のあるごく一握りの人々以外のイスラーム教徒は、島に残る。
その最大の要因は、彼らが迫りくる疫災の何たるかを理解しておらず、従ってあれこれの対策を講じようという考えを巡らせることさえできていなかった点に帰する。
窃盗犯や詐欺師や殺人犯と密告された不運な者が一緒くたに放り込まれた島のアルカズ監獄の雑居房。
看守たちは、目を付けた囚人から金をせびり、差し入れを要求し、金持ちの囚人から賄賂を取って、一時的な自由を与えもした(フイリピン!)。
監獄改革を企図するサーミ―総督が、そのことを口にすると、書記官は「もう五か月間、看守の給与が滞っている、多くの職員がエムルッラー親分から金銭的援助を受けている、外出から帰ってくると村から持ち帰った甕一杯のオリーブ油や干しイチジク、卵などをみなに差し入れ、監獄の壁やガラス窓を修繕してくれた事実」を思い出させる。
皇帝の数多くの皇子たちはほとんど怠惰にして無能な人間に育つ。
かつて彼らを地方総督にしたけれど、謀反の恐れがあるので、イスタンブルのいくつもある宮殿に留め置くのだ。
メフメト三世(1595~1603)は、即位に際して19人の弟たちを絞殺させたが、悪評を呼びかねない弟殺しの慣行を正そうと決意し、以降は父から息子ではなく、兄から弟へと帝位が引き継がれるようになる。
それでも、皇帝たちの多くが猜疑心に満ちていて、弟たちを宮殿の「皇子の居室」と呼ばれるひと隅に幽閉して、世間、世界から切り離しておくのだ。
マフムト・セイフッティン皇子は継承権第一位でありながら二十八年もの間、宮殿の自室から出たことがなく、生まれてはじめて中庭で羊に出くわした際に「怪物だ!」と叫んで衛兵を呼んだという話もある(真偽のほどは定かならず)。
アブデュルハミト二世は、皇子たちが毒薬として利用可能な化学物質を購入せぬよう、毒物の売買と流通を調査し、薬局で医師たちが交わす会話の内容まで把握していた。
彼は(なにものかに殺された)ポンコウスキーに宮殿内の庭園の植物から毒物を抽出するための報告書を作らせた。
ポンコウスキーに続いて、彼の忠実な部下だったイリアス医師も亜ヒ酸入りの殺鼠剤で毒殺される。
「史劇」は、あっちへ行ったりこっちへ来たり、ミステリアスな展開である。
井之頭公園のソメイヨシノも今週の週末あたりが開花かしら…と。