幕府が倒れて、、朝鮮が侵略されて
2023年 02月 27日
出ないではいられないほどのいい天気だったのだ。
出てみたところで、我が家から360度、どこも特にという気持ちになれないまま、バスが来たら遠くに行ってみようと思いつつ、歩き続けた。
二度もバス停に着く前に追い越されたので、もうバスはやめて駒沢公園を突っ切って八雲に向かう。
思いがけず、河津桜をみつけた。
こうした写真を載せると、どこか遠くの河津桜の名所にでも行ったように見えるかもしれないが、一本だけ、小さな空き地に咲いていた、まだ三分咲きくらいのせいか、河津桜にしては淡い色だった。
カミさんが、いいカフエだと教えてくれた店に入った。
この前、クリニックの帰りに行こうと思って、念のためにチェックしたら水木が定休で、無駄足を踏まずに済んだ、その店。
自由通りに面している割に、道からちょっと引っ込んでいるせいか、静かな雰囲気の店で、たっぷりのカフエラテを飲みながら「天皇の世紀4」を読む。
金石範の金泰造シリーズは「彷徨」で、朝鮮に渡った金青年が、発疹チフスになって生死の境を彷徨い、静養のために田舎に行くことを勧められるのだが、そこで「頬の肉の削げた頑丈な顔、高原の灼熱にきたえられた、なめし皮のような皮膚、物をつくるための大きな手と靴のようなはだしの足」の農婦たちに、「草いきれのような土地の息吹のすることばで話しかけられて」、泰造の「かよわい朝鮮語でもって思考する貧弱なことばの空間」は、すぐに崩壊してしまうのだ。
彼女たちが「倭人(ウェーサラム)のようだ、よその国の土地だけでは足らず、その国の人間の姓までうばいとる、世にも稀なあくどい人種、あれは倭人のようだ、倭人のよう、、」という、それが現実なのか夢の中なのか、金泰造の薄い朝鮮人のメッキは村の女たちの前で暴露されてしまった。
泰造を見所があると受け入れてくれたソウルの禅寺の奇先生に、日本に帰ると言って、失望される。
中国は論外、金剛山に行けという奇先生も、不可解だったように、僕にも彼の変心は納得できない。
それは、在日二世の、あの時代の在日二世の金泰造にしかわからない、もしかすると彼自身にもよくわからない気持ちなのだろう。
親切な日本人の女性のアドバイスで、彼女の連れの日本人に成りすまして、面倒なチェックも受けずに船に乗って帰国してからの「出発」を読みたかったけれど、散歩に出る誘惑に負けて、厚い本をおいて、文庫本をバッグに放り込んででたのだ。
文庫本『天皇の世紀4」は、全国の攘夷運動に大きな影響を与えながらも、実行行為としては桜田門外における井伊大老の暗殺にとどまった水戸藩が、力を失ったあと、薩州藩が入れ替わるように激動の主人公に躍り出る。
大久保一蔵が、島津久光を説き伏せて、上洛し幕政改革の勅諚を出させるように建言する動きがはじまる。
英明な斉彬の弟であったが、妾腹であったために分家にいた久光が、藩主(息子・茂久)の後見として藩政を牛耳る。
蟄居していた西郷隆盛が、大久保の働きでゆるされて復帰するが、彼等の上洛計画の無謀さを指摘する。
にもかかわらず、久光は大行列を組んで京都に入り、直接朝廷に建言する。
長い幕政において、許されない破天荒な行動だ。
西郷は久光に憎まれ、大久保は一緒に死のうというが、西郷は峻拒する。
生き残った彼らが明治政府を創り、征韓論があって、大久保も西郷も非業の死を遂げ、大日本帝国があって、済州島民や金泰造の苦しみがあったのだなあ、と思いつつ、ページを繰る。
変化をおそれる朝廷は、浪人の取り締まりという無難な役割だけを押しつけて、久光が勧める勅諚や朝廷の人事刷新などについては、なすすべを知らない。
逸り立つ、志士たちは久光に希望を抱き、薩摩藩邸などに集まってくる、深い思索もない勢いだけの浪士たちだ。
名高き寺田屋事件が迫っている。
大河ドラマよりも数倍面白い、スリルの連続だ。
さあ、このあと、どっちを先に読むか。
家では重たい本が優先かな。