通過してしまった「この世の喜びよ」(井戸川射子)

きのうは文藝春秋を買いに、ちょいとのつもりで昼飯前に出かけたら、近所(百五十歩)のローソンが改装工事で閉店、そうだきのう床屋でその話をしていたんだと、迂闊を悔やむが、出かけついでに、あっちのセブンイレブン(9百歩)まで、足をのばす。
やみかけた雪がみぞれのように降る中を傘を差さずに、歩きにくい長靴で、道は雪解けでずるずるして、一層歩きづらい。

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行ったついでにサミットにもよって、紙パックの「高清水」を買って、文藝春秋といっしょに抱えて帰ると、うどんが覚めてしまったとカミさんに叱られた。
すぐ戻るつもりで、何も言わずに出た僕が悪い。
温め直した、あんかけうどん、あんが子供の頃に食べた葛湯に似て、とてもうまかった。

けさは、ピーカンの青空、僕にとっては三週間ぶりの大掃除だ。
トイレは昨日のうちにやっておいたから少し楽、せなかに日差しを浴びて大きなガラスを拭く。
洗濯もして、朝飯がうまい。

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芥川賞受賞、二作のひとつ「この世の喜びよ」(井戸川射子)を読んだ。
ショッピングセンターのなかの喪服売り場に働く、40代後半~50代前半の女性が主人公、「あなた」という二人称で彼女の行動や心理が語られる。
単身赴任生活が長かった彼女、苦労して二人の女の子を育て、長女は教師になって一年目、いろいろ葛藤があるらしい、二女は、あれ?それは書いてあったかどうか、もう生意気に一丁前のことを言う大人まがいになっている。

ショッピングセンターの彼女の日常のこまごま、毎日やってきて時間を潰している女子高生(幼い弟のヤングケアラー)、向かいのゲーセンの23歳の青年・多田、いつもメダルゲームをしているおじさん、店の先輩の加納さんたちとの交情、とくに女子高生とのそれを中心にして進行するが、大した事件は起きない。
二十三歳なら、引っ越しは楽しかっただろう。多田と話すときはあなたはいつも、二十三歳の自分を一度思い起こしてから話し出すので、少し返事が遅れてしまう。もう一人挟んで会話しているのだから仕方がない。
それだけでなく、育児をめぐる回想がたびたび沸き起こるので、目の前の少女との会話を追う僕はたびたび戸惑う。

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生意気を言うけれど、いまだに甘えている娘たち、甘やかしていることを批判する女子高生。
肌をきれいにしたいと、なんかを削る美容術をうけてきたその子を、遠回しに批判して、しっぺ返しを食う。
自分が経験していないことでも、教えてあげられたらいいんだけど。私がどこかに、通ってきた至るところに、若さを落としてきたとあなたは思ってるんだろうけど、違うんだよ、若さは体の中にずっと、降り積もっていってるの、何かが重く重なってくるから、もう見えなくて、とあなたは言う。若いってただ、懐かしいだけなの、思わず少女の手を握る。思ったよりもぶ厚い手は力なく、少女の熱のこもる顔がこちらに迫りくる。できればゆっくり生長し、長く生きてほしいとあなたは思う。あなたの弟の悩みとか、私は嬉しかったの、と続け、甘えてもいいんじゃない、と少女の助けにならないようでも、一応あなたは言ってみる。甘えたいのも、私にできないだろうけど、大き過ぎず、小さ過ぎないような声を意識する。
「説教は娘たちにしなよ。早く年を取りたがってる方の娘だったら、分かってもらえる可能性も高いよ」

このさき、どんな生き方が待っているのか。
できないことが増えていく。
できるようになることばかりだった時期はいつまでだろう、足のサイズがどんどん大きくなっていった時期と重なっているだろうか。
家出して、母のくるのを待っている長女を迎えに名古屋まで行かなければならない。
そのときに新幹線に乗ることを楽しみに思う。
年老いてそんなに働けなくでもなれば、毎日新幹線に乗せてもらえば楽しいだろう。広い、変化する、見るべきものたちの中に自分はいるのだと思えるだろう。それなら車で高速道路をずっと、走ってもらうのでもいいかもしれない。(略)
車を出してくれる人などいなければ、食器棚を開いてこれは沖縄で買った皿、これはおじいちゃんのビール用の脚付きグラス、と数えながら撫でていく。それで何時間でも過ごす。人以外のものを眺めている、そういう時くらいにしか喜びはないのかもしれない。
そんなことを考えながらも、名古屋で長女に「目標を見つけてやっていくしかないよね」とでも言えばいいのかとも考える。

名古屋では夕ご飯を(あとで訊いたら長女の奢りでラーメン)を済ませた二人はホテルの部屋で待っていた。
柔軟に働いたらいいよ、ってお母さんに分かってるみたいに言われたのも嫌だったんだよ、と上の娘は言っていた。最後は三人で旅行に来たみたいになって、一応楽しく帰ってきた。
と女子高生に話す。

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ある日は三人でスーパー銭湯に行き、マッサージを受けて、ストレッチの本を買おうと思う、自分一人でも筋肉や骨の硬さや柔らかさを感じたいと思った。

1987年生まれ、高校の国語教師。2019年に中原中也賞を受賞した詩人でもある。
そういえば、詩を読むような感じも随所にある。
筋を楽しむより、文章そのものを楽しむ。
だから、僕のような朴念仁にはちょいと読みにくいところもある。
だけど、一気に読ませるのだ。
日常バンザイ、平凡バンザイ、世の中に喜びは充ちているってか、ちょっと斜めの(詩的な)喜びでも。
僕はもう、彼女を遥か昔に通過してしまった。

Commented by ikuohasegawa at 2023-02-11 15:52
Amazonから届いています。
この稿を読んだら、もういいような気がしてきました。
Commented by hanarenge2 at 2023-02-11 16:06
昨日は東京大雪で こちらもニュースが賑やかでした

雪国とは違うけど 厄介ですね
1枚目の道路  怖いです  右手首のことがあってから余計に^^
私の滑った道は 雪はなくツルツルのアイスバーンでした><
今日 見たネットの記事に  絆創膏(バンドエイド)を靴裏の踵と先に貼れば滑り止めになるとありました
子供の頃は  長靴に藁縄を巻いていました
驚くほど すべりません  昔の知恵ってすごいなあと思いました

Commented by tona at 2023-02-11 21:42 x
小説の中にも実に色々な人生があるものです。
翻って自分の人生は小説にもならないなあと思いました。
Commented by saheizi-inokori at 2023-02-11 23:25
> ikuohasegawaさん、もう一編ありますよ。
Commented by saheizi-inokori at 2023-02-11 23:28
> hanarenge2さん、子供の頃は滑るのを楽しんだりもしました。
転んでもどうってこともなかつたです。
なんでも楽しみにしてしまったなあ。
Commented by saheizi-inokori at 2023-02-11 23:31
> tonaさん、この小説は小説にもならないような日常の出来事を書いています。
それでも立派な小説になるのですね。
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by saheizi-inokori | 2023-02-11 13:13 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Comments(6)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori