小三治がいる
2023年 01月 24日
なんで自分はマクラをながながやるようになったか、とかを、いろんなマクラに即して、そのマクラを知らない人にもわかるように中身を話しながら、それを作ったときの気持なども語る。
アッチ飛びこっちトビ、融通無碍な話題の転換、爆笑させながら、あるある、そういうことだよな、と、恐らく客たちは頷いているのだろう。
小三治はいっとき歌を本格的に習って、あるときなどは手に入りがてのチケットを買って集まった客を前に最初から最後まで、歌を歌うだけだったという、高座にグランドピアノをおいて。
ワールドサッカーを見ていて思ったけれど、なんでみんな、あんな色の髪にしているのでしょう。本気で怒って見せる。
俺は体制じゃないというつもりだろうけど、揃いも揃ってあれじゃ個性なんかない、こういうフアッションでなければ弾くんでしょ、皆体制だ!個性を認めない、しかも11人も集まって、一時間も二時間もやってやがって一点か二点しか入れられないってどういうこったい!もっとうまいヤツ呼んで来いよ!
前の林家正蔵が、オリンピックのバスケット中継を見ていて、そばの弟子に「おい、あの籠、穴があいているって誰かおせえてやらねえのか」といった話を思い出す。
私の歌、それぞれ皆さん「私の歌、自分の時代の歌」があっていいですね。
東海林太郎、ビートルズ、北島三郎、、それぞれいいでしょう、ただ松田聖子、あれが私の歌という人はちょっとかわいそうな気もします、好みでしょうけど、私にとってはなんか気の毒な気がします。
僕もよく歌った歌だ、四つ違いの兄さんだけど、好きな歌はほぼ重なる、「公園の手品師」とかもね。
「花の街」、これはいいですね、と朗々と歌いながら、「壮大ですねえ、七色の谷を越える、なんか風になったような気がします」その歌詞の良さを解説する。
これはすごいなあ、團伊玖磨です。
でも、いくらいい歌でもあんまり毎日聴いていると嫌になるんですね、どんな美人でも一緒に暮らせば飽きるように。
いい歌から嫌になる、といって「七色の谷を越えて」、これです、なんと大げさな歌でしょう、「七色の谷をこえる?」やり過ぎだよこりゃ、あの歌は良くない。
最後まで残った歌が「あの人とっても困るのよ」。
歌いながら「くだらねえ、歌があるもんだなあ、こんな歌おまえらほんとにこさえたのか」「だから何なんだよ」と思いながら、「七色の谷」よりも飽きない、単純でいい、すべての人の本心が現れている。
てな調子で、こんどはママという呼称について、魚屋のお母さんにはどうかと脱線する。
スマホの画面は静止画面なのに、横になって斜めにみていると、ときどき小三治が動くような気がした。
おや、動画だったかと見直したりすると、やっぱり静止画なのだ、そんなことがニ三度あった。
生きている小三治を見ているときは、(小満んなどの渋さにくらべて)ときに飽きたけれど、ひさしぶりに聴くととても懐かしい。
毒があって、それを笑いに包んでみせるのがいいのだ。
しかし、レジンアートで度肝を抜かれてその前のことがすべて吹っ飛びました。凄いです♡ これは、2液のレジンで作られるのかな、わー…、凄い…(溜息)。現物を拝見してみたいです。
たまにラジオから流れる歌で泣きそうになるのは武満徹作詞作曲の「小さな空」です。
取り立てて泣きたくなるような詞はないのに、なぜか「いたずらが過ぎて叱られて泣いた、子供の頃を思い出した」の詞で心の蓋が開き優しいような悲しいような気持ちになりグッときます。
奥様のレンジアート、私のパワースポット荒神海岸みたいです。
「あの人とっても困るのよ」、こういう歌があったとは・・・。大正時代にでも迷い込んだような、後ろ髪を丸めた女性の、なにかそんな雰囲気の挿絵が似合いそうな、味わいのある歌ですね。小三治師匠それ、面白そうですね、聴いてみます。^^
ロウバイが素敵ですね。
奥様のコレはアート!!!
それも芸術は爆発だ~!的な、、、
波にも見え、生命の波動にも見え、、、処女作と思えない、素晴らしい!
コサギの写真もロウバイの写真もいいなぁ。
3枚目の写真の段差に見える小さな泡?のような白い流れが
それとなく奥様の素晴らしい作品とコラボしててうふふでした(^^ゞ
入院はいよいよ明日でしたでしょうか。
どうか恙なくお過ごしくださいますように。
小三治のマクラ、兄弟子の誰かさんみたいですね。
けっこう棘のある言い方・・・
何かの動画で「エーデルワイス」を歌う小三治を見ました。
旅先の朝食で横にいた小里んがジャムを指でしゃぶるのをへえと思ったことを憶えています。
昨夜聴いたのは、わたしも現場にいた小さん一門会、今の小さんなどについても棘のある話しぶりでちょっとびっくりしたことを思い出しました。
お元気になってお戻りください。