栃若時代
2023年 01月 13日
ことし初めての祖母の歌。
昭和35年、祖母が僕と同じ年の頃の歌だ、当時僕は高校二年生だ。
長女の夫が郵政省電波研究所長をやっていたことがあり、自宅に研究用のカラーテレビが置いてあった。
それはあんまりきれいだとは思わなかった。
そんな縁でまだ珍しいカラーを義息からプレゼントされたのかもしれない。
カラーテレビが嬉しかったのだろうな。

どっしりと四角の房がたれさがり柱に変る土俵風景
との粉色の力士の肌にうつりよし軍扇の緋房行司の衣装
今さらに色というもの美ししカラーテレビに切りかへてみて
長女の夫が郵政省電波研究所長をやっていたことがあり、自宅に研究用のカラーテレビが置いてあった。
それはあんまりきれいだとは思わなかった。
そんな縁でまだ珍しいカラーを義息からプレゼントされたのかもしれない。
カラーテレビが嬉しかったのだろうな。

相撲は誰が贔屓だったのか。
この年の初場所の番付などを調べてみると、東の横綱が栃錦で14勝1敗で優勝している。
このころ、栃錦は初日に敗けることが多く、大フアンの僕はやきもきしたけれど、そのあと好成績で優勝することが多かったから、この場所もそうだったかもしれない。
西の横綱は若乃花、栃若時代だったが、この場所若乃花は一度も勝たないうちに3敗して休場している。
この場所で10度目の優勝を果たした栃錦は、次の3月場所で若乃花と14勝全勝同士の千秋楽決戦に敗れ、横綱になってからの対戦成績を4勝6敗とされる。
そして5月場所で初日から2連敗すると、「衰えてから辞めるのは本意ではない」という師匠春日野(栃木山)の教えを守って引退を表明する。
この年の初場所の番付などを調べてみると、東の横綱が栃錦で14勝1敗で優勝している。
このころ、栃錦は初日に敗けることが多く、大フアンの僕はやきもきしたけれど、そのあと好成績で優勝することが多かったから、この場所もそうだったかもしれない。
西の横綱は若乃花、栃若時代だったが、この場所若乃花は一度も勝たないうちに3敗して休場している。
この場所で10度目の優勝を果たした栃錦は、次の3月場所で若乃花と14勝全勝同士の千秋楽決戦に敗れ、横綱になってからの対戦成績を4勝6敗とされる。
そして5月場所で初日から2連敗すると、「衰えてから辞めるのは本意ではない」という師匠春日野(栃木山)の教えを守って引退を表明する。
初場所の準優勝・敢闘賞は12勝3敗の大鵬、前頭13枚目、柏戸は小結で9勝6敗技能賞、栃若から柏鵬時代となる。
栃若の34回の熱戦(栃錦が19勝15敗)、僕はラジオの実況でしか知らない。
おばあちゃんといっしょに、テレビで(カラーでなくても)見たかったな、七賢などをちびちびやりながら。

栃若の34回の熱戦(栃錦が19勝15敗)、僕はラジオの実況でしか知らない。
おばあちゃんといっしょに、テレビで(カラーでなくても)見たかったな、七賢などをちびちびやりながら。

母の句。
はてさて、どこの倒木を見たのか。
雪のなかの母の後ろ姿が目に浮かぶ。
倒木のうろごうごうと雪を呼ぶ倒木の句、まだ僕と一緒に暮らしていない頃の作品だ。
雨音に囃す七種香ばしき
お降りや御簾内暗き弁財天
はてさて、どこの倒木を見たのか。
雪のなかの母の後ろ姿が目に浮かぶ。
親父が大工だったので、自宅には「との粉」がふんだんに置いてあり、水に溶かすとたしかに人肌色(黄土色?)だったかしら…と。
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> たまさん、との粉って何だかわからない人が多くなったかもしれませんね。
祖母はなんでこんな言葉を使ったのかな。
祖母はなんでこんな言葉を使ったのかな。
> maya653さん、私も終わり頃見ました。相撲見物にもいろいろ楽しみ方がありますね。
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
子供の頃はよく観ました。朝潮、明歩谷など筋肉質の力士もいました。Youtubeで観戦しますが、毎場所はがゆい思いの連続です。
はがゆいです。
いつまでたっても本復しない御嶽海に。
いつまでたっても本復しない御嶽海に。
> ikuohasegawaさん、年ばかりとっていっちゃう。
はがゆい < 期待しまいと思いつつ、期待するからです。(笑)
> tanatali3さん、期待して見るから面白いのでしょうが、ね^^。
by saheizi-inokori
| 2023-01-13 12:42
| わが母と祖母の遺したまいしうた
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Comments(14)