テレビもおもしろい
2023年 01月 06日
友枝さんの切符を取るのに10時ジャストで能楽堂に申し込むのだが、うまくやらないとすぐに売り切れになってしまう。
子供のようにわくわくして、スマホとパソコンで電話とメールの両方を使って、うまく取れた時の嬉しかったこと。
あんな時期もあったことを幸せに思う。
熱に浮かされたように、能だの落語会だの文楽だのと見て歩いたのだ。
現役を退くことによって僕のなかの享楽的な性向が爆発したのだろう。
うまいものを食べ歩いたり居酒屋でおだをあげることにも、それ自体に魅力を感じなくなった(仲の良い友達と騒ぐのは別)。
ただ「旅」だけはもう少ししたい。
僕のエネルギーなんてそんなもの、もう底が見えている。
なんだか堕落しているような気がしたのだ。
それが、このところときどきテレビを見るようになった。
新日本風土記、街角ピアノ、72時間、吞み鉄本線ぶらり旅、孤独のグルメ、吉田類の酒場放浪記、プレバト、、そんなのを録画しておいて晩酌の肴にしている。
映画はいぜんとして見ない、大河ドラマ以外のドラマ、その他のいわゆるバライテイ番組や食い物や旅番組は、上の三つ以外はみない。
子供の頃は、テレビのない家だったから、よそのうちのテレビが珍しくて夢中になってみた。
結婚してからは、子どもたちと一緒にマンガとかクレージーキャッツやドリフを見たり、日曜には料理番組をみた。
年をとって子供のころに帰っていくという、それで肩肘張らずにテレビをみて笑っていることが「できる」ようになったのだ。
生きがいだった漁にでることもできなくなって、夏の間の昆布採集のほかは、荒涼たる海辺で先に逝った奥さんとそこで一緒に海を眺めていたことを思い出して暮らす。
淋しいな、漁をしたいな、と言いながら、天真爛漫な詩を独特の力強い筆で書く。
そして生きていることを感じ続け、感謝の気持ちをもち続けている。
そのあと晩酌しながら、立花隆の生き方を特集した長い番組もみた。
人間はどこから来てどこに行くのか。
命の本質は何か。
どん欲に学んで学んで、けっきょく、分からない、分かっていないことがわかった、人間は分からないから面白い、と言い、人間は進化をつづけて超人類が誕生するともいう。
すべての命はつながって「いのち連鎖体」を作っていて、その「いのち連鎖体」が「いのち連続体」となって進化するのだと。
パリかどこかの公園で、子供たちがグルグル回る遊具に乗って遊んでいるのを笑顔でみつめる立花の眼差しの優しさが印象的だった。
4日の朝方に巴里の公園や好きなだけ本を買う夢を見たのは、この番組のせいかもしれない。
「氷点」(三浦綾子)、きのう書いたストーン先生が洞爺丸事件で身を棄てて若者を救った話が出てくると聞いていながら、まだ読んでなかったのだ。
「エーゲ―永遠回帰の旅」(立花隆)
今年もよろしくお願いいたします。
元旦からの記事を拝読しました。
今年も読書で始まる一年ですね。
本を読むことで、何気ない日常から遠いところへ旅に出るような気持ちになれますね。
子どもの頃の、本を開くときのわくわくした気持ちを少し思い出すことができました。
白梅一輪、ほっとします。
NHKの寄席中継では喬太郎が「擬宝珠」をねっとりと語りました。
爆笑問題は年賀状じまいにふれて、
「今はメールやラインですましてしまう」
「そう、今朝郵便受けを見たらスマホだらけだった」とやらかしていました。
今好きな番組もsaheiziさんと被っています、笑
昨年末は結婚19年で初めて紅白歌合戦を一緒に見ました。
夫は頑張って半分まで観て寝ましたけど、それでも私は嬉しかったです^^