映画館に行く
2022年 11月 03日
一色に塗りつぶされるのが、僕の想像の戦争中の空気みたいで、息苦しさを感じてスマホのSpotifyをつけて掃除をした。
「苦しい、苦しい」と手を顔にあてて壁に寄りかかっている、初老の婦人、その後ろの席から、低い声で宥めるように何かを言いながら、夫人の肩をもんだりする、これはその夫だろう。
三茶で降りるまで「苦しい」は、間欠的に続いた、続く割に切迫感が感じられない。
降りるときに、別の女性が「大丈夫ですか」と訊くと、男が苦笑いをして大丈夫なんですといい、夫人の肩を「ほらみろ」という感じで軽く揉んでみせる。
バスを降りた男がかがんで靴の紐を直しているのを、その背中に覆いかぶさるようにしている女の姿をみた。
難儀やなあ。
西武とロフトの間の「シネ・クイント」への入り口に面して、本屋があったはずなのに、ミニマルな内装のカフエに変わっている、ちょっとそそられたが、水分は御法度。
「映画をみたい」というのは、映画そのものを楽しみたいという気持ちだけでなく、「映画館に行く」、その気分を恋しく思ったのだ。
ちょっとの間、この世界から別れをつげて、ちがう世界に遊ぶ。
そのために、猥雑な小路を歩いて行く。
なんとない背徳感も懐かしく甦るのは、中学の頃一人で映画を見ることを禁じられていたトラウマだけではなく、快楽を求めて暗闇に忍び込む行為にあるのだろう。
彼と戦場で親友になった黒人弁護士が緊急に連絡してきたのは、彼らの戦場の指揮官の死体を解剖してくれという、その将軍の娘の依頼の件だ。
今までに遺体の解剖は、二度だけ、その二度目というのは忘れてきた鉗子を取り戻すため、という医師は執刀をテキパキ動く黒人女性医師のアシストにまわって、開いてみた胃袋からは不自然な毒薬らしきものが見つかり、将軍は殺されたらしい。
依頼した娘は、医師と弁護士の目の前で突き飛ばされて車に轢かれて死ぬ。
医師と弁護士との二人を戦場で介護した看護婦、体から取り出した弾丸等の破片を集めて、それで芸術作品を作るという変わり者だが、目の大きな魅力的女性。
その三人はお互いを終生守り合うという誓を結んだ仲となる。
飽きることなく(途中で一度トイレにたったほかは)、一気に見終わった。
ロバート・デ・ニーロは、出てくるだけで存在感があるな。
入るときには、手つかずの晴れた空と空気だったのが、薄暗い夕方の、汚れた都会に変わって、時間を無為に過ごしたような(昼寝から起きたときのような)策莫とした感じになる。
これから遊ぶぞ、というような若人たちに背を向けて帰宅、キムチの豚シャブを食って寝た。
アムステルダムの運河を訪れたのはもう20年前の会社費用?
365日ただ水を汲み続けないと国土が喪失する理不尽を思い知ったかと・・・。
そう意味では変わって言いませんね、笑
鑑賞後、映画の世界から現実に引き戻される戸惑いですかね。陸続きはやくざ映画。肩で風切る観客にニヤりとしたものです。
デニーロは健さんと通じるものがあるのでしょうね。いい役者です。
アメリカの小説なんかに出てきそう。
私は母と一緒に見たのは中学生のときに「喜びも悲しみも幾年月」くらいかな。
ヤクザ映画や西部劇をみて放浪の無頼になったような気分で歩く、あるあるです。