視る目
2022年 10月 26日
真冬に僕の足元を温める小型のやつ、初出動だ。
扇風機と並んで一生懸命に働いてくれて、おかげで部屋が暖かくなるという副作用もあった。
それでも今朝触ってみると、なんかイマイチ、ベランダに干し直して快晴の日差しで仕上げ、こんな事ならストーブはやるんじゃなかったか。
無敗のチームで、ただ一人4打席連続三振を含めて10打席ノーヒット6三振という「絶不調」をつづける主将を定席の3番から1番に代えた監督、不調でも打順をさげることはしないで、気持の切り替えを促す、その気持ちもよく解るだけに、「今日こそ」という気持ちと、それでもという不安が綯い交ぜになっていたのかもしれない。
始めの打席は内野ゴロで終わったがそれまでとは違っていい当たり、第二打席はつまった当たりがラッキーな内野安打となって、待望のH(ヒット)表示が点灯した。
これで呪縛が解かれた。
それを見た僕が、カミさんに「山田、打ちそう」といった途端に、いい当たりのレフトフライがぐ~んと伸びて外野手の頭をこえてスタンドに飛び込んだ球が跳ね返ってきた。
3点先取、これが決勝点になった。
ヤクルトベンチは大騒ぎ、なかでも村上がぴょんぴょん跳ねて満面の笑み、見ているほうが思わず笑ってしまうような喜び方だった。
むかし名古屋にいるころ、帰宅した僕を、玄関に走り出てきて、長男が高校入試で合格したことを、ぴょんぴょん跳ねながら「ね、ね、お兄ちゃん、受かったよ」と伝えた幼い次男のことを思い出させる光景だった。
鷗外選集では、読んだことのある『懇親会』の前に収録されている作品で、読んでみると初めてだった。
財閥の娘として甘え放題に育った美人の妻が、浪費・無計画ゆえに家計を任すことができない、同居の節倹の暮しで夫を大学にまでやった母に人に頭を下げることをしない妻に頭をさげて必要な金を貰うことはつらいから自分が家計を持つといわれてしまう、それがまた不満の種、母親・姑を忌み嫌って、同席するのも、子どもが懐くのも、声を聴くのも嫌だ、どうしてもこんな声を聴き続けなければならないのなら、子どもを連れて家をでるという、夫が賢所に行く朝も寝坊する、いわゆるいささか度を越した「悪妻」ぶりを、半日の出来事として、夫の立場から完膚なきまでに書く。
名声をもつ鷗外が、家庭の恥でもある作家の悩みを天下に晒したのだ。
「悪妻」の内心の言い分は取り上げられず、終始鷗外とみられる夫の視点で描かれるから、そしてそれが理路整然として、どう読んでも「いやな妻」になっている。
彼女の中にあるだろう、弱さ・心細さ・切なさのようなものは考察の対象にならない。
学ぶことを知らず(できず)趣味をもつこともできない、鷗外からみたら「劣った」妻の悲しみも。
これを読んだ鷗外の妻は、その実家の人たちは、鷗外の(長ずるに及んだ)子供たちは、どんな気持ちになっただろう。
作家の家族とは因果なものだ、と改めて思う。
鍵コメさんが、「いやな奴さ」というのは、そういうことなのだろうか。
ああいう、没義道な差別主義だらけの発言をSNSでする人を自党の比例代表の高順位に推す自民党、あれは杉田のような考え方に公にお墨付きを与えることに通じて、統一教会の行事に参加したりメッセージを送ることで統一教会の広告塔になったアベとその一党らしいやり方だ、と思った。
岸田を糾弾しないといけないと思っています。
都会でも 秋明菊が 見れるんですね。
お山では 群生になった シュウメイギクを愉しみました。
知り合いに トロトロになった 柿が大好きだ、と
仰る方が居て その方と久し 連絡してないわ、と思い出シましたわ(_ _)