七変化&うめがったんし
2022年 10月 13日
三茶でバスを降りて歩いていったら、とちゅうにランタナが咲いている。
そうして診察室の椅子に座ってポケットのスマホを脇に置こうとしたら、カミさんからのラインで「ランタナだった」と写真入り。
どうやら同じランタナを見て、わずかな時間差ですれ違っていたようだ。
包み紙に、
山と緑に囲まれた「秋田県上小阿仁村」 そこで生まれて育った当店元店長、まち子姉さんが、地元の婦人会から教わったごま餅です。白ごまと黒ごまを使った、ヘルシーな郷土菓でございます。とある。
ごまと豆が大好きだ。
まち子あねちゃ、しったげうめがったんし!
「反穀物の人類史」をもう少し。
国家というもは、いったん確立されてからは、臣民を取り込むだけでなく、吐き出していた。逃亡の原因は途方もなく多様だ。伝染病、凶作、洪水、土壌の塩類化、課税、戦争、徴兵など、すべてが着実な漏出の理由になるし、ときには大量脱出のきっかけにもなる。逃走して近隣国家へ向かう者もいただろうが、多くは(とくに捕虜と奴隷は)辺境へと逃れて別の生業形態を営んだだろう。彼らは事実上、意図して野蛮人になったのだ。「野蛮人」というのは、国家に対して敵対的な遊牧民で、「未開人」とは採集と狩猟で暮らしているバンドで、文明の原材料には適さず、無視したり殺したり、奴隷にしてもいい存在と見られていた。
アリストテレスが「奴隷は道具だ」と書いたときに念頭にあったのは未開人だ。
本書では「野蛮人」という言葉を皮肉を込めて「単に国家を持たない人びと=無国家民」という意味で使っている。
そして「野蛮人」「未開人」であることは、臣民であることからの解放である場合が多かったのだという。
大きな農耕国家の住人よりも食べ物もよく、生活も楽で、長命であった。東部草原の諸王国へは中国から逃れた人びとが常に流れ込み、遊牧の生活スタイルの優位性をほめることもためらわなかった。同様に、多くのギリシャ人やローマ人がフンなどの中央ユーラシア諸民族に加わって、故郷よりもよい生活をし、よい待遇を受けていた。(クリストファー・ベックウイズ)
国家はほとんどが農業現象なので、いくつかの山間渓谷を除けば、どれも沖積層に浮かぶ島々のようなもので、一握りの大河が作る氾濫原に位置し、強力にはなったかもしれないが、その支配が及ぶ範囲は生態学的に限られていたのだ。
国家なんてものが出来なければよかったような。
ランタナ可愛くて好きです.