たまには英国のミステリを 「愛は血を流して横たわる」(エドマンド・クリスピー)
2022年 10月 07日
僕は、午後は本を読みながら、朝はルーテインをやりながら、どっちも「ながら」で聞くから、ひとつの番組、ひとつの曲をきちんと聴くことが少なく、断片的に聞いては「ああ、いい曲だなあ」とか「おしゃべりが長すぎるぞ、しかも聞き取りにくいぞ(かけるクラシック)」などと「感じて」いる。
日曜日の朝の現代音楽のときは消してしまうこともある(いいな、と思って聴き続けることも、たまにはあるけれど)。
今朝は、シューベルトの「鱒」を聴いた。
傘もささずにゴミ捨てに行って、冷たい雨に(ちょっと)濡れた陰鬱な気持ちをほどいてくれるような軽やかで美しい旋律を、ほとほと「ああ、いいなあ」と聴きながら、洗面所の鏡やボールを磨いた。
どこと特定できないけれど、昔見た川の澄んだ流れ、そこにみえた魚のすばやい動きなどを思い出して、まるで夢の続きのようだった。
掃除が終わっても、そのまま立ったままで最後まで聴いていた。
今朝は、昨夜の「鳥鍋」の残ったスープでお粥をつくってもらった。
ポン酢をたらして、匙であちちと食う。
僅かに残った野菜のきれっぱしや鶏肉の欠片が、いちだんとうまく感じられる。
きのう、食べ残した白菜漬けも、おぬし、こんなにうまかったか。
だからと言って、わざわざ、たくさん残しておいては、こんなにうまいと思わないのだ。
猫額洞さんのブログで教えられた1948年にイギリスで発表されたミステリ。
エドマンド・クリスピン、オクスフォード、セント・ジョンズ・カレッジの学生だったとき友人から借りたデイクスン・カーの「曲がった蝶番」に夢中になって自分でも書いてみたいと思って、第一作「金蠅」を出版し、好評を得てその後五作発表したうちの一つが本作、27歳の作品だ。
探偵は、ほとんどの作品と同じ、オクスフォ―ドの哲学科教授・ジャーヴァス・フェン、なかなか「もてる男」。
パブリックスクールの終業式前夜に連続しておきる教師の殺人事件、おませな女子学生の行方不明、、たまたま友人の校長の依頼で優秀賞の授賞式に訪れたフェンが、地元の警視と捜査を開始する。
つぎつぎに発見される異常な事柄が推理の手がかりだから、銘記しておかなければいけないのに、事件の推移に気を取られて忘れてしまう。
のどかな、一ヶ月くらい暮らしてみたいような、イギリスの田舎の町とその郊外、パブリックスクールにおける教師と学生たちの関係など、なるほどこれが英国かと思わせる。
事件は悲惨なのだが基本はコメデイ、ユーモアの漂う語り口、現代では渋いというべきか、ニヤッと笑わされることもなんどか。
いつものように、「トレッスルテーブル」「アランソンレース」「ロトの妻」、、スマホ検索も楽しむ。
後半はドタバタ喜劇のサービスもある。
本格ミステリ、途中で何回か、それまでの手がかりを言挙げして、読者に挑戦するかのごとくだが、僕にはわからなかったし、わかろうともしない、読むだけで十分満足。
滝口達也 訳
何故か口ずさんでいました
私も朝FM流していようかしら