人新世は火の使用に始まった
2022年 10月 01日
あと、図書館の本の借りだし期限が二冊、これはきのう受け取りに行った。
というより、ほかの本もとりに行った時に渡されなかったのだ。
改めて申し込むと(ネット)、該当の資料はないとの返事、なんど繰り返しても同じ。
口頭で説明したけれど、判ってもらえなかったので、きのうはネットの通知場面を写メしたのを見せたら、変ですね、と内心は僕の不注意を疑う声、検索してくれて、ほら、ありましたよ、という。
変ですね、とこんどは僕が言って、改めて予約、28人待ちだという。
「僕、生きてるかなあ」「絶対生きてます!」とこんどは少し強い声でいう。
「円楽も死んだんだよ」というと、それがどうしたとは言わず「誰しも明日のことはわかりませんよね」。
あ~あ、面倒くせえ、いやらしい爺丸出しだった。
「反穀物の人類史」から。
メソポタミアで最初の農業社会、農業国家が誕生したのは、わたしたちが種としてこの惑星に残してきた歴史のうちの、最後の5パーセントに入ってからだ。化石燃料の時代は、種としての歴史の1パーセントの、さらに4分の1にすぎない。
それなのに、私たちは地球環境に残してきたうちの、この最後の時代の足跡にばかり目を奪われている。
火の使用の証拠がみつかる40万年前より、もっと遥か昔、ホモ・サピエンスの登場(紀元前20万年)より前のことだ。
ホミニド(ヒト科動物)に焼かれ続けたことで、世界の動植物の多くは「耐火性」の種を含むようになった。人為的な原因による火の影響は甚大で、人間による自然界への影響を公平に見れば、同じ飼い馴らしでも、植物の作物化や動物の家畜化を圧倒するかもしれない。では、なぜ景観設計者としての人類の火は、歴史においてしかるべく記述されていないのだろう。理由はおそらく、その影響が数十万年をかけて広がったことと、達成したのが「未開人」ともよばれる「文明以前の」人びとだったことだろう。ダイナマイトやブルドーザーのある現代からすれば、とんでもないスローモーションでの環境修景だった。しかし、すべてを足し合わせた影響はとんでもなく大きかった。
ネアンデルタール人による北ヨーロッパへの入植がその好例だ。
わたしたちが繁殖に成功し、世界で最も成功した「侵入生物」となったことも火のおかげ、わたしたちは生活習慣、食事習慣、身体を火の特徴に適応させてきた。
そうすることで、火の世話をすることと火を絶やさないことに縛り付けられている。
全面的に火に依存することで、火はわたしたちを家畜化しているのだ。
どこを読んでも面白いから、引用せざるを得なくなって、それは際限なく、ぜんぶを引用したくなるのだ。
これじゃ、「写本」だ。
少し考えなおさないと収拾がつかないな。
国葬におけるスガの弔辞、つっこみどころだらけで、なんでこんなものを一部の人が称賛するのか不思議だった。
この記事がうまくまとめている。
嫌な予感が的中。菅前首相の国葬「弔辞」で飛び出した衝撃の言葉#MAG2NEWS https://t.co/lQeShPx4Xz
— fuubo (@fuubo) September 30, 2022
全額税金で行ったのだから「国民葬」のはず、
1億人以上いる国民の中から友人をひとり選ぶ必要がどこにあった。
今からでも遅くない、「いわゆる国葬」費用全額を「友人葬」を行った連中から返して欲しい。
山県の国葬は盛り上がらず、1ヶ月前の大隈の国民葬の方が人手も多かった由。
民主主義への弾圧者であることを含め、山県と安倍には共通点が多いですね。