自転車に乗って
2022年 08月 29日
ちょっと大きな箪笥を粗大ごみに出しても汗をかかずにすんだ。
こういう空気のなかを自転車に乗って、そうだなあ、多摩川の畔を走ってみたい、ずっと海の見えるところまで。
途中のどこかで降りて小さな秋を見つけて歩いて、いい匂いのするカフエでちょっと本を読んで(酒を飲まずに)帰って来るのだ。
直してまで乗る気がなかったのでそのままにしておいたら、息子が僕が乗るといって見に来た時はなんとも手の施しようがなくなっていた。
ずいぶんもったいないことをしたものだ、と思い出しては後悔する。
でも自転車があったとて、もう今の足腰では多摩川まで行くことは出来ても帰りの坂道を戻って来ることは出来ないのだ。
新聞配達につかっていた我が家の唯一の財産だった自転車、とうぜん変速機なんてついちゃいなかったが、よく走ってくれた。
ぼろきれで磨いてピカピカにして、油もちゃんとさしていた。
懐古園までは60キロ強くらいかな、途中で上田城によって一休みしながら持って行ったお握りを食うくらいで、どこかでお茶を飲むなんてことはなくひたすら走った。
中学のときの僕のあだ名はムスビ、坊主頭の恰好からだった。
お握りを食いながら、僕の渾名に絡めて他愛のない冗談を言い合った。
懐古園でも藤村の「千曲川旅情の歌」の碑をちらっと見るくらいですぐに帰途についた。
長野駅の手前にある裾花川と犀川の合流点の丹波島橋までの長い上り坂を向かい風に抗って立ちこぎを繰り返して走るのが大変だった。
大学に入って鈍行列車で帰省するときに、上田城の森がみえてくると、ああ、やっとここまで来た、ここからは自転車でも帰れたんだと家が近くなったことが嬉しかった。
「お使いは自転車に乗って」、僕の生まれた年生まれた月に出来た映画の主題歌、映画は見ていないが、歌はラジオから流れたので僕も少しは歌える。
この動画のバックは昭和18年の出来事だという、なんか心にリンリン響くなあ。
そちらも涼しくて自転車日和みたいですね。
saheiziさんのブログを拝見すると自転車に乗らなくても行動範囲が広く毎日の暮らしに動きがあると思います。
♪お使いは自転車に乗って♪夫に聞いたらちゃんと歌えました。
私は知らないのでこういう時年の差を感じます。笑
ご主人とお使いは自転車をテレパシーでハモりましょう!
戦中の歌なんですね。
学徒出陣、七五三の晴れ着は軍服、大陸の花嫁、溢れる決戦色、逞し陸鷲の乱舞、もし東京が爆撃されたら、福岡に空襲被害甚大、東京初空襲、最後の早慶戦、決戦服颯爽と・・・1943年、昭和18年の言葉を拾い上げていくうちに気持ちが重くなりました。もう二度とこんな世の中にしてはいけないと強く思います。
轟夕紀子さん。18年2月だったのですか。
最近もう自転車は危ないと言われ、とうとう、車に次いで自転車も粗大ゴミに出しました。
もう歩くしかなくて、荷物が凄く重いときはリュックで二重マスクでバスに。カートは持っていません。
しかし駅までは800mなのですが、坂(国分寺崖線)があるので、訓練と思ってバスにはよっぽどことがない限り乗りません。いつまで続くか?
懐古園や上田城(未見)に行って見たいです。街道からは遠かったので行かれませんでした。
帰りはさぞ大変だったでしょうね。