大甘の皇子は甘くなかった
2022年 08月 27日
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る天智天皇の寵愛を受ける額田王は、もともと天智の弟である大海人皇子の妻だった。
紫草(むらさき)の にほへる妹(いも)を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも
額田王は天智とともに薬猟り(くすりがり)、男は鹿の袋角、女は薬草を採りに行く5月5日の行事に行く。
すると、恋しい大海人皇子が向こうでしきりに手を振っている。
あら嬉しい、でも人がみてるじゃないですか、はらはらわくわく。
紫のように美しいあなた、人妻でも恋焦がれる私の心、と大海人皇子。
歌の詠まれた土地は、現代のどこか、歌の意味などを説きながら、著者は、天智の死後にその子・大友皇子と大海人皇子の間に起きた皇位継承をめぐる争い、壬申の乱について概説する。
大君は 神にし坐(ま)せば 水鳥の 多集(すだ)く水沼(みぬま)を 都となしつ天智の死後、吉野をたった大海人皇子は、わずか一ヶ月で大友皇子(弘文天皇)を討ち、飛鳥浄御原宮で即位して天武天皇となる。
もしかすると柿本人麻呂は、大海人皇子の軍勢にいたのかもしれない、ほんとに大海人皇子の仕業を神業と感じたのではないか。
壬申の乱を経た天武・持統のエネルギーが文武において律令国家を完成させ万葉の歌の最盛期も迎える。
万葉の歌は、さっと読んで現代語に逐語訳しただけではなにも伝わらない。
詠まれた場所、時代についての知識と突き合わせることによってその意味の深さが解る。
歌の持つリズムは読み上げなければということのようだ。
いぜん読んだときには、歴史の教科書みたいであまり面白くなかったのが、「万葉の人びと」で天智、天武、額田王、有間皇子などの歌を読んだために、登場人物が命を得て、がぜん面白くなった。
通説(犬養孝も)とは違って、王の資格継承は世代・年齢・人格識見を最優先として決められていたこの頃は「卑母(地方豪族の娘であった)」であることをもって大友皇子の天皇になる資格に欠けていたというのは、間違っている。
大友皇子は天智が我が息子可愛さにゴリ押ししたのではなく、周囲の支配層の了解・賛同を得て大友擁立を決めていたという。
天智は、世代・年齢重視の王位継承から特殊な血統をもった皇子による王位継承への転換を構想し、いずれ草壁・大津らの皇子が成長するまでにつなぎとして大友皇子を後継に擁立することを構想した。
兄・天智の娘を四人も妻に迎え、大友にわが娘を与えたのは大海人皇子も兄の大友擁立構想に協力しようとしていたのだ。
天智の病が篤くなったときに、大海人皇子を召し出して、自分の亡きあとのことを話した際に、大海人皇子が一見潔く天皇位を襲う気のないことを示し、その場で出家して吉野に下ったとされる有名な二人のやり取りについても、日本書紀の「天武紀」と「天智紀」の同一場面の記載の異同を調べて、じつは大海人皇子の方が変節して天皇になろうとして、それを疑う天智に誅殺されないように、しかも大后・倭姫王の即位のもとに大友を執政とする提案を有無を言わさずに返答して、吉野に去ったのだ、とその姦計を暴く。
大海人皇子が吉野に去るのを見届けた天智方の誰かが「虎に翼を着けて放てり」と嘆いたというのは、女帝の約束によって大海人皇子が天皇機会を機会を与えてしまったことを言うのだと遠山は書いている。
「鎌倉殿、、」を見るよりも面白い生々しい歴史だ。
浮気者だな、我ながら。
フィクション色が強いですが、井沢元彦の「日本史の反逆者〜私説・壬申の乱」も機会があれば。
天皇が人間になるまでタブーだったのでしよう。ドラマ化はいろいろ気を使うのではないかな。
スマホの辞書ではジンシンが感じで入力できません。これは関係ないね。
吉本隆明氏も特別な講演にゼミの赤羽淑先生との関係できてくださってあの頃はよくわからない話でしたがよく聴いて本も読めば良かったです。共同幻想論 は難しい!
古代史が書き換えられそうですね。