甲子園決勝戦を見ながら
2022年 08月 23日
社会人になってすぐに仙台鉄道管理局の現場実習や会津坂下の駅長をしたから、ここは仙台育英を応援することにした。
仙台が勝てば「悲願の白河関越え」となる。
下関国際が優勝すれば柳井高校以来66年ぶりの山口代表の優勝となる。
じつはこの1958年、中学3年生の僕はとうじ西宮甲子園口に住んでいた祖父母の家に遊びに行っていた。
たまたま祖父が「甲子園に行ってみようか」というので、市電に乗って野球場まで行くと、おりしも徳島商と魚津高の試合が7回に入って、外野席が無料開放になるときだった。
それからなんと延長18回まで、徳島商の坂東と魚津の村椿の両投手は死力を尽くして投げ合い、0対0のまま引き分け再試合になった。
外野席からみると選手たちの顔も見分けがつかず、熱闘の細部を味わう目も持っていなかった、セピア色というよりモノカラの思い出だ。
再試合で勝った徳島商は準決勝で作新学院を破り、決勝0対7で柳井に負けたのは坂東がくたびれたからか。
あのときの祖父、今の僕より若い、はどんな思いで僕を横において野球を見ていたのだろう。
朝鮮で銀行の役員をしていたため公職追放になって、小さな本屋をやっていたが、店番が嫌になると、あとを祖母に任せて明石あたりまでふらりと出かけて「おいしいもの」を食べてくるのだった。
決勝戦の立ち上がりは双方の投手が見事な投球を見せて、互角の試合だったが4回の裏に仙台が先取点をとり5回にも効率よく2点をくわえた。
徹底したスライダー狙いが功を奏しバントもうまいみごとな攻撃で、それまで好投していた古賀投手をひきづり下ろした。
6回には下関が1点返して、逆転の可能性を感じさせる内容だったが7回裏、二番手の仲井投手の制球が定まらず、一死満塁となったところで5番の岩崎から痛恨のホームランを打たれて勝負は決した。
それからも攻撃の手は緩まず、追加点を奪われそうになるが、必死の形相で抑え込んだ仲井よ、最終回の粘りに粘った挙句のヒットもよかったぜ。
仲井が頑張り、賀屋が続いた9回の攻撃では甲子園を下関を応援する拍手がどよもした。
僕が名古屋鉄道管理局の営業部長をしていたときに、都市対抗野球で後楽園に出るとなったとき、僕は応援部長ということになっていた。
貧乏国鉄時代だから、予算がないので、いっそ全員赤褌一本の裸で「これが赤字応援団の赤心だ!」とやったらどうかと、半ば冗談かなり本気で提案したけれど、OBを含めて反対された。
もし実行していたら球史に残る怪挙だったなあ。
あのころ大矢さんはいたのかどうか、覚えていない。
満塁ホームランを打った岩崎君は地方予選を通してずっとベンチに入れなかったのが、甲子園にきて代打で出てから5番をうち、この快挙を成し遂げたという。
育英の層の厚さを感じるが、監督の手腕もさるものだ。
ホームランを打った岩崎君がベンチで、こみ上げる笑いを一生懸命に押し殺しているのが微笑ましかった。
彼の人生にとってこのホームランはどんな意味を持ち続けるのだろう。
「満塁ホームランを打った男」という小説を書いたら、どんなことを書こうか。
試合後、下関の監督がベンチの前で、選手一人一人に声をかけていた。
優勝監督のインタビューでは「全国の高校生に拍手をして欲しい」とも言った。
いい監督だね。
結果はどうあれ選手一人一人に大きな思い出大きなステップになる事と思います
監督が岩崎君を抱きしめる映像に思いの深さを感じました
二人の監督に大拍手です
下関国際の善戦も印象に残るとてもいい試合でした。
高校野球はどの試合にもドラマがありそのたびに感動💧
昨日の解説者とアナウンサーが試合の合間に板東英二さんの話で盛り上がっていました。
当時の試合をsaheiziさんがリアルタイムで観戦していたことにも感動!