山県有朋が始まりだった 「沖縄「格差・差別」を追う」(羽原清雅)
2022年 08月 16日
ヌーヴェルヴァーグを軸に60年代のフランスの文化と政治、とくに五月革命のことなどを、僕は、その多くを対岸の火として等閑に見過ごした同時代史としてみた。
映画や音楽などについても高校~大学、社会人という多感な時期に、ほとんど「遊んで」いなかったので、名前だけ知っているというお粗末さである。
テレビも持ってなかったが、音だけなら聞き覚えのあるレナウン娘のシルヴィ・バルタンも、「へ、こんな顔してたんだ」である。
60年安保反対闘争のときの岸信介とアルジェ紛争に対して国民投票を呼びかけ、アメリカのベトナム戦争に反対してNATOを脱退するド・ゴール、同じ文人上がりの大臣でも「エリート教育というと反対が多いから「ゆとり教育」といったんだ」とほくそえむ三浦朱門とフランス文化のなかに映画を戦略的に位置付けて世界に売り出そうとしたアンドレ・マルロー、それぞれの格の違いを想う。
やはり恥ずべきサロゲートか。
「ある新聞記者がみた沖縄50年の現実」という副題がついているように、1938年生まれ、朝日新聞入社後、本土復帰3年前の沖縄で「沖縄報告」の取材チームの一員として活動して以来、西部本社代表になるまで沖縄をみて・考え続けてきた人のいろんな角度からの沖縄差別・格差についての論考。
帝京大学教授も経験したからか、ジャーナリストの文章に歴史的な論究を加えていて、読みやすく説得力がある。
現在も続く沖縄格差・差別の源流は、明治政府による「琉球処分」に端を発し、それは山県有朋の、もっぱら沖縄を本土防衛の基地としての視点により、沖縄固有の歴史や習俗、感性などを一切考慮せず、現地の人を「土人」とよぶ植民地支配の感覚をもってするものであった。
吉田松陰の(防衛よりも)領土拡張主義とドイツの法学者・フオン・シュタインに教えられた「主権戦」と「利益線」の思想による軍事外交姿勢が、山県の基本であり、「教育勅語」「軍人勅諭」「戒厳令」「徴発令」「新聞紙条例」「保安条例」などを整備、参謀本部制により天皇直属の軍隊とする。
天皇専制統率型の国家像を目指し、議会が始まっても「超然主義」をとった。
ただ、彼の場合は、天皇の上にアメリカがあり自分と自民党の保身があったところが異なるのかもしれない。
山県有朋のこと、国会開設以前の政治のありかたなどを勉強しなおす必要があるようだ。
69歳で暗殺された伊藤博文の国葬は大変な賑わいがあったが、85歳の長寿を全うした山県の国葬は「寂しさ、つめたさ、空々寂々」と新聞に書かれるほどであったという。
あくまでも個人的な印象だが、分断を煽るようなことを平気で言い、非民主的な考え方をするこんな人がなぜ政治家なのか。なぜ要職に就けるのかがずっと不思議だったが、統一教会という補助線を引けばそれに得心がゆく。と同時に筆舌に尽くし難い危機感を覚えているのが今で、ずっとソワソワしている。
— 平尾 剛 / 『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)絶賛発売中! (@rao_rug) August 15, 2022
このソワソワする危機感はこの先ずっと抱き続けなければならないし、これをできる限り多くの人と共有しつつ、誹謗中傷を恐れず適切な批判を続ける人たちに積極的に賛意を示すことが、長い目で見て社会を健全化するための地道な方法だと思う。怒りの継続と惜しみない賛意の表明をこれからも心がけたい。
— 平尾 剛 / 『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)絶賛発売中! (@rao_rug) August 15, 2022
当然のことながら自ら批判をすることも大切だが、然るべき情報を持たないまま感情を剥き出しにしたそれは、ただ分断を深めるだけで不毛だし、心的負荷も大きい。これに比べて賛意の表明はちょっと勇気を出せばできるし、たとえ匿名であっても構わない。きな臭い空気に水を差すには十分だと僕は思う。
— 平尾 剛 / 『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)絶賛発売中! (@rao_rug) August 15, 2022
「安倍のやろうとしたことやってきたことは、長州の大先輩である山県有朋の後追いではなかろうかと」
表現が直截で失礼ですが、本日の解説を読ませて頂き全くと思いました
平尾剛氏の最大のレジスタンス、長い道程、健全に継続するの言葉に少し心が落ち着きました
シルヴィーバルタンを聴き時が蘇りました
アイドルを探せを歌い乍、手を前に軽くモンキーダンス風ステップで舞台そでから登場
今まで知らないシックさ可憐さに、田舎の子は一瞬で幻惑されましたよ
三浦朱門みたいな人が日本の「文化人」の一人とされているとしたら、何をか言わんやですね。