たかが週刊誌? 「週刊誌風雲録」(高橋呉郎)
2022年 08月 11日
アップしたら鼻毛が映っていた男、そのくらいの身だしなみは調えろよ。
シンガポールにいる息子の嫁さんに頼まれて、彼女が通販で買ったもろもろをまとめて我が家から転送してやる中に、柴犬シイちゃんのおもちゃが入っていた。
荷ほどきを見ていたサンチがチラッとそれを見つけたから、さあ、大変、段ボールの箱にまとめて玄関の内戸の外に置いたら、開き戸をガリガリやって開けようとする、こんどは納戸の中に入れたら、納戸のドアもガリガリ、30分以上もやり続けて、いっかなやめそうもない(吼えたりはしないのだ)。
おりしも、シンガポールからのラインで、おもちゃの一つはサンチにやってくれというので、サンチは生まれて初めて玩具を貰った犬のように喜んでみせる。
同じような玩具がいくつもあるのに、やはり新しいのがいいのだ。
近所のお金持ちの坊ちゃんが買ってもらった玩具を羨ましがる子供のようで、長野方言で「もうらしかった」。
たしか、そこにクロスワードパズルの懸賞が載っていて、当たると抽選で10万円もらえるとあって、近所の仲良し(引き揚げ者同士)小母さんが、夜に集まって、ああでもないこうでもない、と楽しんでいた。
横で見ていた僕が「アリバイ」という言葉を思いついてみんなが喜んだことを覚えている。
山梨の伯母は、「女性自身」が出ると、そちらに切り替えて送ってくれた。
昭和33年12月1日に発売された「女性自身」の創刊号は、他紙が載せているミッチーについては一行も載せることが出来ず、苦しいスタートを切ったが、その後「菊印」路線で巻きなおす。
麹町の宮内庁分室で皇后学の御進講を受ける正田美智子のフアッションを撮るべく、欠かさずにカメラマンが待ち受けた。
皇室崇拝者ではなかったけれど編集長・黒崎勇には、美智子妃には、日本人の心情にかなう「愛、求道、哀れ」のすべてが備わっているという確信があったという。
「哀れ」を美智子妃に感じとったのが黒崎の「皮膚感覚」だった。
読者調査が黒崎の基本でもあった。
「女性自身」というネーミング、四色刷りのゴージャスなグラビア、定価は他誌が30円の時代に40円にして、表紙には外国人女性の写真、しかもロングの全身像を使った。
ターゲットを18歳から26,7歳までの独身OL(とうじはBG)に絞る、先行の週刊誌には見られないやり方だった。
一方で特集には、ジャーナリズムの正道をいく草柳大蔵のチーム(こういうやり方も草柳が嚆矢)に任せるなど社会性も持たせた。
僕の伯母は一生独身で通して聾唖や盲の子供たちを教えたクリスチャン、とうじ50歳頃でOLとは言い難かったけれど、それまでの週刊誌にはない何かを面白いと思ったのだろうか。
「週刊新潮」では、「柳生武芸帳」の五味康祐、円月殺法のシバレンなどを読んだが、週刊誌を買う金はあったのだろうか、誰かに借りた記憶もないけれど。
高校のときは特別奨学金(月3000円)を貰っていたから、これくらいは買えたのかもしれない。
週刊誌は買って読まなくても中吊り広告でたいてい見当はつくといわれたが、今はその週刊誌が新聞テレビでは書かない「ほんとのこと」を教えてくれるのだ。
暑い夏、あせもが出来ても厄介ですのに完治されて良かったです。
真面目な努力が実ったと思います。
結局、何が原因でしたか?
脳軟化夥しい昨今の
我が身を振り返れば
驚天動地です
こちらに伺って読み続ければ
一軒医者が減らせそうです(笑)
高校生時代
週刊誌一冊25~30円位でしたかね
うろ覚えです(苦笑)
引き続き健診にお邪魔させてください
そして氷が溶けるように覚えていたことも減っていきます。
今のうち、繰り返しでもいいから書こうと思うのです。
読んだと思います。
当時12歳ですが。週刊誌好きの母が興奮して買ってきました。
それから始まるすべての女性週刊誌を買って。
家に置いてあるので。当時本に飢えていた私は。
全部読んで、変な?ちょっと色っぽい大人の話はよく知ってました。
左平次さんと同じものを読んでいたなんて。と懐かしい思いです。
「本に飢えていた」、私もそうでした。多くの国民がそうだったのでしょう。「善の研究」に長蛇の列ができるくらい、印刷用紙が配給で大変だった時代です。こんどそうなったらもう私は生きちゃおれません。もっとも図書館派だからダイジョブかな。