留守居役の暮らし
2022年 08月 09日
学徒動員された、川島東(のぼる)さんが、なんども狂言回しのような役割で登場した。
せんじつ、8月8日NHKスペシャルに出ます、さて何が出てくるでしょう?というハガキの予告をもらったのだ。
戦没学徒や女子学生(とうじ)の言葉。
学問への情熱はあっても、いざ動員されて女子学生立ちに送られて東篠首相の前を行進すると感動してしまう学生たち。
ああ、もっと本を読んでおけば好かった。
群衆というものは熱くなると熱に浮かされてとんでもないことをやってしまうのだなあ、と(あとから)思った。(この女子学生は大学生が徴兵されるのは当たり前だと思っていたのだが、神宮で彼らの行進をみて、この人たちがみんな死にに行くことを実感したのだ。)
戦争を知らない人たちが勇ましいことをいう。
自分は、あまりにも弱く、甘く、乗せられてしまった。
森鷗外「澀江抽斎」は、いぜんベストセラーになった「武士の家計簿」を思わせるように、江戸末期の武士の日常をこまごまと伝える。
留守居になつてからの貞固は、毎朝(まいてふ)日の出ると共に起きた。そして先ず厩を見廻つた。そこには愛馬浜風が繋いであつた。友達がなぜそんなに馬を気に掛けるかと云ふと、馬は生死を共にするものだからと、貞固は答へた。厩から帰ると、盥嗽(くわんそう)して仏壇の前に坐した。そして木魚を敲いて誦経した。此間は家人を戒めて何の用事をも取り次がしめなかつた。来客もそのまゝ待たせられることになつてゐた。誦経が畢つて、髪を結わせた。それから朝餉の膳に向つた。饌には必ず酒を設けさせた。朝と雖も省かない殽(さかな)には選嫌(えりぎらひ)をしなかつたが、のだ平の蒲鉾を嗜んで、闕(か)かさずにださせた。これは贅沢品で、鰻の丼が二百文、天麩羅蕎麦が三十二文、盛掛(もりかけ)が十六文するとき、一板二分二朱であつた。貞固の月収は二十三両一分と見られるが、留守居役の会合など月に交際費百両は必要だった。
朝餉の畢る比には、藩邸で巳の刻の太鼓が鳴る。名高い津軽屋敷の櫓太鼓である。嘗て江戸町奉行がこれを撃つことを禁ぜようとしたが、津軽家が聴ずに、とうとう上屋敷を隅田川の東に徒(うつ)されたのだと、巷説に言ひ伝へられてゐる。(略)貞固は巳の刻の太鼓を聞くと、津軽家の留守居役所に出勤して事務を処理する。次いで登城して諸家の留守居に会ふ。従者は自ら豢(やしな)つてゐる若党草履取の外に、主家から附けられるのである。
さらに吉原に火事があると、妓楼佐野槌に百両に熨斗をつけてやり、ときには相方黛の無心も聴いてやらなければならない。
ある年の暮れに、貞固が抽斎の妻・五百に私語していったという。
姉えさん、察して下さい。正月が来るのに、わたしは実は褌一本買ふ銭も無い。
もとより多くは江戸の町人たちの世界を語る噺だが、その背景に侍たちが行き来しているのだ。
身分や貧富の格差は、今よりはるかに大きかったはずだが、気持の通い合いは、今の僕とあの権力者連中との間と比べて案外近しいところもあったのではなかったか。
僕とあの連中とは、物理的にも住む世界が違うから、僕たちのことを描いても背景にあの連中はいないのだ。
「民主主義の根幹たる選挙運動中での非業の死」ってその選挙そのものを歪めてきたのは誰だ? 統一教会票を割り振り自民党総裁選での教団票頼みの疑いまで浮上している。「憲政史上最長の任期」はその薄汚い手法で続けただけ。国葬は日本の恥を世界に広める。岸田少し考えろ! https://t.co/7YiDM25F0q
— 佐藤 章 (@bSM2TC2coIKWrlM) August 7, 2022
貴重な記録とも言える作品ですね。
読みたくなりました。