路辺の幸福
2022年 07月 24日
きのう載せた動画、ツイッターでは昨日のトレンドになっていた。
多くの人が「これをみたらアベの国葬なんて誰がやりたがる?」とか「これで統一教会の集金の仕組みがわかった」とかの感想付きでリツイートしている。
僕ももう一回載せておこう。
「国会が開かれないままに国葬が閣議決定で進められるなら、せめて一人でも多くの人が自分の意見を何らかの方法で公表するしかない」というブログ記事も読んだことだし。
源田実、ってご存じだろうか。
真珠湾攻撃の第一航空艦隊の航空参謀だった男だ。
源田サーカスというニックネームがつくような編隊飛行をしてみせた軍人は、艦隊の司令長官・南雲忠一が「水雷屋」であり空母同士の戦闘は初めて(実は歴史的にも)だったこととか、性格的に小心であったことなどから、「源田艦隊」と陰口をきかれるようなところもあった。
南雲はサイパンで死んだが源田は生きて戦後を迎え航空自衛隊の創設に関わりブルーインパルスの生みの親となる。
1962年に参議院議員選挙に立候補、五位で当選する。
真珠湾攻撃の第一撃は成功するが、南雲艦隊は第二撃をすることなく、引き返す。
地上の海軍工廠や燃料タンクを失えば太平洋方面の態勢立て直しは大幅に遅れると米軍は青くなっていたのだ。
戦後、米側の調査に対して、源田は自分は第二撃計画をあげたけれど南雲が採用しなかったと述べ、それが「トラトラトラ」に採用されて、この説は僕でも知ることになった。
南雲忠一というひとは、このことを始めその後のいくつかの作戦でも「駄目だった将軍」というイメージが僕には強い。 ところが、本書冒頭の「ラケットを携えた老提督―南雲忠一大将」によると、それは事実ではないことが、最近の研究で分かったようだ。
そこにいた千早参謀の証言では、戦闘詳報をみても計画をあげる時間的余裕はなかったが、あまりにも理路整然と源田が主張したので、取り上げられたという。
また、当時の艦隊の状況は実際に第二撃をする能力がなく、やらなかったのは正解だったこともその後の検討で明らかになっている。
本書では、敗色濃厚になった頃、武人気質の南雲が後方勤務を飽き足らなく思ってか、同期の海軍次官に頼み込んで前線に出してもらい、最後はサイパンの中部太平洋方面艦隊司令長官兼第一四航空艦隊司令長官に任命された時のエピソードが紹介されている。
「今度は生きて帰れない」と妻に告げてサイパンに赴任した南雲には、かつての戦闘的な猛将のおもかげはなく、いかにも好好爺然とした人物になっていた。
戦前からのサイパンの住人で奇跡的に玉砕をまぬがれた菅野静子(当時十八歳)は、海軍士官の厚生施設であるテニスコートで、ある老人が仲間に入れてくれというので、いっしょにテニスに興じた。
太った老人が、あちこち一生懸命に走りまわるものの、ぽろぽろと球を落とす姿に腹を抱えて笑ったが、それが南雲長官だった。
南雲は、ビールを飲みながらやはり山形出身の菅野の話を聞くのを好み、「わしはこういうのがいちばん幸せなんだ」ともらした。
南雲は自刃したとされるが、玉砕の末のことで本当のところは判然としない。
ただし、遺された夫人は「私は南雲の性格をよく知っている。自決をするような男じゃない。必ずや突撃して戦死している」と世を去るまで主張し続けたそうだ。
(近所に新しい店、昆布茶)
多くの人が「これをみたらアベの国葬なんて誰がやりたがる?」とか「これで統一教会の集金の仕組みがわかった」とかの感想付きでリツイートしている。
僕ももう一回載せておこう。
「国会が開かれないままに国葬が閣議決定で進められるなら、せめて一人でも多くの人が自分の意見を何らかの方法で公表するしかない」というブログ記事も読んだことだし。
源田実、ってご存じだろうか。
真珠湾攻撃の第一航空艦隊の航空参謀だった男だ。
源田サーカスというニックネームがつくような編隊飛行をしてみせた軍人は、艦隊の司令長官・南雲忠一が「水雷屋」であり空母同士の戦闘は初めて(実は歴史的にも)だったこととか、性格的に小心であったことなどから、「源田艦隊」と陰口をきかれるようなところもあった。
南雲はサイパンで死んだが源田は生きて戦後を迎え航空自衛隊の創設に関わりブルーインパルスの生みの親となる。
1962年に参議院議員選挙に立候補、五位で当選する。
真珠湾攻撃の第一撃は成功するが、南雲艦隊は第二撃をすることなく、引き返す。
地上の海軍工廠や燃料タンクを失えば太平洋方面の態勢立て直しは大幅に遅れると米軍は青くなっていたのだ。
戦後、米側の調査に対して、源田は自分は第二撃計画をあげたけれど南雲が採用しなかったと述べ、それが「トラトラトラ」に採用されて、この説は僕でも知ることになった。
南雲忠一というひとは、このことを始めその後のいくつかの作戦でも「駄目だった将軍」というイメージが僕には強い。
そこにいた千早参謀の証言では、戦闘詳報をみても計画をあげる時間的余裕はなかったが、あまりにも理路整然と源田が主張したので、取り上げられたという。
また、当時の艦隊の状況は実際に第二撃をする能力がなく、やらなかったのは正解だったこともその後の検討で明らかになっている。
本書では、敗色濃厚になった頃、武人気質の南雲が後方勤務を飽き足らなく思ってか、同期の海軍次官に頼み込んで前線に出してもらい、最後はサイパンの中部太平洋方面艦隊司令長官兼第一四航空艦隊司令長官に任命された時のエピソードが紹介されている。
「今度は生きて帰れない」と妻に告げてサイパンに赴任した南雲には、かつての戦闘的な猛将のおもかげはなく、いかにも好好爺然とした人物になっていた。
戦前からのサイパンの住人で奇跡的に玉砕をまぬがれた菅野静子(当時十八歳)は、海軍士官の厚生施設であるテニスコートで、ある老人が仲間に入れてくれというので、いっしょにテニスに興じた。
太った老人が、あちこち一生懸命に走りまわるものの、ぽろぽろと球を落とす姿に腹を抱えて笑ったが、それが南雲長官だった。
南雲は、ビールを飲みながらやはり山形出身の菅野の話を聞くのを好み、「わしはこういうのがいちばん幸せなんだ」ともらした。
南雲は自刃したとされるが、玉砕の末のことで本当のところは判然としない。
ただし、遺された夫人は「私は南雲の性格をよく知っている。自決をするような男じゃない。必ずや突撃して戦死している」と世を去るまで主張し続けたそうだ。
学生時代に酔っぱらって源田実の選挙ポスターを「なんだこんな奴」と破いて、取り締まり本部のお巡りさんに追いかけられて、大学構内まで逃げ切ったのに、一緒の友人が眼鏡を落として探しているうちに捕まった。
都寮連の委員長かつ成人の友人が迂闊なことをいうとヤバイと思った僕は出て行って自白、彼には「俺に任せろ」といって茶番にした。
幸いなことに社会党のポスターを破いた男もいた(逃げ切った)ので、弁護士などいりません、みんな吞みすぎた上の悪戯でした、ごめんなさい、泣いてみせた。
一泊二日、夕方放免されたとき、獄中何百日果敢に戦うなんてことがいかに大変なことか身にしみてわかった。
本書で源田実のインチキを読んで、あの古い渋谷署の留置場を思い出した。
いろんな本をあっち読みこっち読み、これも面白い。
このなかで吉田健一の言葉が紹介されていたので、引いておく。
長すぎる、とのお告げだ。
都寮連の委員長かつ成人の友人が迂闊なことをいうとヤバイと思った僕は出て行って自白、彼には「俺に任せろ」といって茶番にした。
幸いなことに社会党のポスターを破いた男もいた(逃げ切った)ので、弁護士などいりません、みんな吞みすぎた上の悪戯でした、ごめんなさい、泣いてみせた。
一泊二日、夕方放免されたとき、獄中何百日果敢に戦うなんてことがいかに大変なことか身にしみてわかった。
本書で源田実のインチキを読んで、あの古い渋谷署の留置場を思い出した。
このなかで吉田健一の言葉が紹介されていたので、引いておく。
政治の原語はギリシャ語の都市、つまり、我々が住んでゐる町といふ意味の言葉から転化したもので、経済の語源は家といふギリシャ語である。そしてこれでも解る通り、炉辺の幸福をしっかり掴んでゐなければ、政治も経済も健全な発達を遂げるものではないし、この基礎的な感情を忘れてどんなに文化人的に利いた風なことを言ってもどうにもならない。先づが炉辺の幸福を、である。じつはもっといろいろ書いたのだが、なぜか消えてしまった。
長すぎる、とのお告げだ。
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by
kogotokoubei at 2022-07-24 15:45
>ビールを飲みながらやはり山形出身の菅野の話を聞くのを好み、「わしはこういうのがいちばん幸せなんだ」
南雲の言葉、よく分かります。
今ほどまで、テニスの後の三人での軽い居残りで、盛岡出身者と大阪出身者、そして北海道出身の私が、さまざまな土地の夏の思い出を語り合いました(^^)
源田実については、多分に美化されすぎていますが、大日本帝国時代への回帰を願う人物の一人であったと思います。
いまだに、アメリカの逆コースの路線に乗っている人々が、永田町に多い。
この八月は、もっとそういう危険な政治状況について議論が活発になるといいと思います。
南雲の言葉、よく分かります。
今ほどまで、テニスの後の三人での軽い居残りで、盛岡出身者と大阪出身者、そして北海道出身の私が、さまざまな土地の夏の思い出を語り合いました(^^)
源田実については、多分に美化されすぎていますが、大日本帝国時代への回帰を願う人物の一人であったと思います。
いまだに、アメリカの逆コースの路線に乗っている人々が、永田町に多い。
この八月は、もっとそういう危険な政治状況について議論が活発になるといいと思います。
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saheizi-inokori at 2022-07-25 09:34
> kogotokoubeiさん、南雲忠一なんていうもう忘れかかっている人の、ちょっと心温まる逸話、人間は多角的に見なきゃいけないことを想いました。
by saheizi-inokori
| 2022-07-24 14:02
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Comments(2)