どこも出口がないなァ 「三島由紀夫最後の言葉」

雨は降っていないし、降りそうもないけれれど、湿度が90%、洗濯物もたくさんあるのだけれど、明日(晴れそう)に繰り延べする。
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三島由紀夫全集、「破裂のために集中する」(石川淳との対談)と「三島由紀夫最後の言葉」(古林尚との対談)を読んだ。
前者で太宰治のことを三島が「太宰みたいに、私は喜劇ですよ、私はピエロですというのは、とっても許せない」というと石川が「僕が太宰を憐れだと思うのは失敗した喜劇役者だからですよ」と返し、三島は「失敗した悲劇役者というのが僕じゃないかしら。一生懸命泣かせようと思って出て来ても、みんな大笑いする」、石川は「ちょっとそういうところもないことはないな」と言って笑う。
総じて武田泰淳との対談よりも、石川の韜晦に三島は遠慮して石川のまわりをくるくる回っているような印象。
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後者は古林尚を聞き手として図書新聞の連続対談「戦後派作家対談」のひとつ、昭和45年11月18日の午後8時から三島邸で行われた。
一週間後の腹切りをまえに「12月になればかえって忙しくなります」と対談の日時を決めて、アタッシュケースを小脇にかかえて応接室に現れ、歯切れの良い、自信に満ちた発言に終始したという。
古林は三島より二つ若く、海軍を経験、戦後マルキシズムの立場にたったが、三島の愛読者で、三島の本のほとんどを読んでいる。
とくに「金閣寺」時代に興味があるといい、三島由紀夫を思想・文学・人間に分割すれば、文学は好き、人柄もまあ憎めないほう、だが思想だけは願い下げにしたいという。

その古林が、三島由紀夫の特異な思想のよって来る所以をいろんな角度から聞き糺す、面白くないわけがない。
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はじめのうちは神妙に、戦後間もなく「政治的な発言をしようとするとシドロモドロで、実にお恥ずかしい次第だったし、それで一種の逃げ道として芸術至上主義者を気どることにしたんです」などと(神妙でもないか)言っているが、古林に、多くの同世代の人々が戦後を第二の誕生としたのに、三島由紀夫だけは、ふたたび10代のときの思想にのめり込んでいくことについて、
たいへんに不自然であって、その無理な姿勢が、三島美学が観念の世界にのみ浮游する、リアリズムを離れて情念にのみ固執せざるを得ない、そういう現実離脱の傾向の大きな原因になっているんじゃないでしょうか。
と突っ込まれると、三島は「潮騒」の頃は、理性ですべてを統御できる新古典主義作家になれると錯覚していたが、どうしても自分の中には理性で統御できないものがあることがわかってきた。
ひとたび自分の本質がロマンティークだとわかると、どうしてもハイムケール(帰郷)するわけですね。ハイムケールすると、十代にいっちゃうのです。十代にいっちゃうと、いろんなものが、パンドラの箱みたいにワーッと出てくるんです。だから、ぼくは笑われようと、またどんなに悪口を言われようと、このハイムケールする自分に忠実である以外にないんじゃないか、と思うようになりました。ぼくのこの気持ちは、思想的立場の違う人、ゼネレーションの違う人にはきっと理解できないんだと思います。
と開き直るのだ。
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三島の天皇観、それは「英霊の声」に示されるように「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいひし」で、非個人的な性格を天皇から失わせた大逆臣が小泉信三だと気炎をあげて、古林から「あなたの行動は政治的に利用される」というと、
古林さん、いまにわかります。ぼくは、いまの時点であなたにはっきり言っておきます。いまにわかります。そうではないということが。(略)この連中(敵=政府であり、自民党であり、戦後体制の全部、社会党も共産党も含まれる)の手にはぜったい乗りません。いまに見ていてください。ぼくがどういうことをやるか(大笑)
と大笑するのだ。
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絶対者に到達することを夢みて、夢みて、夢みるけれども、それはロマンティークであって、そこに到達できない。その到達不可能なものが芸術であり、到達可能なものが行動であるというふうに考えると、ちゃんと文武両道にまとまるんです。到達可能なものは、先にあなたのおっしゃったように死ですよね。それしかないんです。だけど芸術の場合は、死が最高理念じゃないんですよ。芸術というのは、もうとにかく生きて、生きて、生き延びなければ完成もしないし、洗練もしない。だけど行動となると、十八歳で死んだってよいんだからね。そこで完成しちゃう。ぼくは、ただ為すこともなく生きて、そしてトシをとっていくということは、もう苦痛そのもので、体が引き裂かれるように思えるんです。だから、ここらで決意を固めることが、芸術家である生きがいなんだと思うようになったんです。
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今後の日本文学についてどう思うかと問われ、
大げさな話ですが、日本語を知っている人間は、おれのゼネレーションでおしまいだろうと思うんです。日本の古典の言葉が体に入っている人間というのは、もうこれからは出てこないでしょうね。未来にあるのは、まあ国際主義とか、一種の抽象主義ですかね。安部公房なんか、そっちへ行ってるわけですが、ぼくは行けないんです。それで世界中が、少なくとも資本主義国では全部が同じ問題をかかえ、同じ生活感情の中でやっていくことになるんでしょうね。そういう時代が来たって、それは良いですよ。こっちは、もう最後の人間なんだから、どうしようもない。
古林が「しようがないなんて、三島さんらしくもない弱気な発言ですけど、まさか「豊饒の海」で終わりというわけでもないでしょう」というと
まあ、それは終りかもしれないね。わからないですね、いまのところ。次のプランは何もないんです。もう、くたびれ果てて、、、。
そして長い対談は、歌舞伎役者が完全に堕落して家伝の域を出ようとしていないことを嘆き
やっぱりどこにも出口がないなァ。
これが三島の最後の言葉だ。

Commented by baobab20_z21 at 2022-06-23 12:18
死の直前のなんと生々しい内容ですね。三島の本音でしょう。確かにそうですね。生きてはいられなかった。究極だと思う。
Commented at 2022-06-23 20:29 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by saheizi-inokori at 2022-06-23 22:27
> baobab20_z21さん、ね、そうおもいますでしよう。
Commented by saheizi-inokori at 2022-06-23 22:29
> 鍵コメさん、政府であり国民であり、でも三島はそれを承知していたのです。
Commented by tona at 2022-06-24 09:16 x
>ぼくは、ただ為すこともなく生きて、そしてトシをとっていくということは、もう苦痛そのもので、体が引き裂かれるように思えるんです。
・・・これはとても耳が痛いです。毎日何で生きているのか。

>どこにも出口がないなァ
・・・悲鳴ですね。「豊饒の海」はそんな頃の前に書かれたのですか。読み直してみたいです。
Commented by saheizi-inokori at 2022-06-24 10:45
> tonaさん、私も読みなおそうと思っているのですが、初版全巻、処分してしまいました、図書館で借りましょう。
Commented by maru33340 at 2022-06-26 06:56
とても興味深かったです。三島はとても正確に自分自身を分析していて、ほとんど手の内を全部見せてしまっているようで、そこに晩年の「失敗した悲劇役者」としての三島の孤独をひしひしと感じて、少し切ない気持ちになってしまいます。
Commented by saheizi-inokori at 2022-06-26 09:21
> maru33340さん、何が足りなかったのか、それともこれが十分充足した人生だったのか。
別の選択肢はなかったのか、もう少し読んでみようかと思います。
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by saheizi-inokori | 2022-06-23 11:15 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Comments(8)

ホン、映画・寄席・芝居、食べ物、旅、悲憤慷慨、よしなしごと・・


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