難解な哲学的論争、ほんとにこの人たちは理解し合って議論しているのかと、ついていけない僕はちょっと寂しくもなりながら、それでも議論の真剣さ、切迫感は伝わって来る。
討論が始まって、二時間余、ページ数で60頁ほどのところで、全共闘Hが
(前略)三島氏の観念をより超越的なものにするのにはぼくたちが天皇と言おうが言うまいが、三島氏が天皇と言おうが言うまいが、別にぼくたちとともにゲバ棒を持って現実にぼくたちの間に存在する関係性、すなわち国家を廃絶すべきではないか。大体ぼくの論理はさっきから一貫していると思うのです。で、それを答えてもらいたいと。というと、三島は
それは論理は確かに一貫しているけれども、ぼくは論理のとおりに行動しようと思っていない。つまり意地だ、もうここまで来たらだね。(笑、拍手)これはあなた方に論理的に負けたということを意味しない。(笑)つまり天皇を天皇と諸君が一言言ってくれれば、私は喜んで諸君と手をつなぐのに、言ってくれないからいつまでたっても殺す殺すといってるだけのことさ。それだけさ。

全共闘Hは、三島は、そういう「観念性として超越するところの天皇(同時に民衆の中に集約された幻想でもある)」と現実の今上天皇を無媒介的にくっつけるところに三島の曖昧さ、欠陥がある、と言いたいし、三島(人間天皇から銀時計を下賜された)はたしかに天皇という名辞を捨てるわけにはいかないのだ。
解放区というものは一定の物に瞬間的にその空間に発生するものであって、そこには時間も関係もない遊戯だ、といって革命の持続性を考えようとしない全共闘も、日本の天皇に絶縁状をたたきつけることもできない三島も御名御璽だ。
しかし僕たちは、彼らを嘲笑うことはできない。

それは、二人の文学や社会についての見方が率直に示されてとても面白いのだが、このなかで
(三島)僕はいつも思うのは、自分がほんとに恥ずかしいことだと思うのは、自分は戦後の社会を否定してきた、否定してきた本を書いて、お金もらって暮らしてきたということは、もうほんとうに僕のギルティ・コンシャスだな。さらに三島は、ひとまわり以上年上の泰淳和尚に甘えるがごとくに、繰り返し、もう嫌だ、書けないと言った挙句に
(武田)いや、それだけは言っちゃいけないよ。あんたがそんなことを言ったらガタガタになっちゃう。
(三島)でもこのごろ言うことにしちゃったわけだ。おれはいままでそういうこと言わなかった。
(武田)それはやっぱり、強気でいってもらわないと、、、。
(三島)そうかな。おれはいままでそういうこと言わなかったけれども、よく考えてみるといやだよ。
(武田)いやだろうけど、それは我慢していかないと、、、。
(三島)しかし僕は、それは絶対文学で解決できない問題だと気がついたんだ。まあ頭は遅いけど。と言って、そのあとの三島の言葉だけ拾うと、
〇 今の日本じゃ、非常にヨーロッパ的になったんです。つまり、ものを書く人間のやることだから、決定しないですむんだという考えがある。僕はとってもそれがいやなんだよ。武田も三島も一致して、「いいことを言ったらいい人間」現象を忌避している。
〇 僕は、学生が東大で提起した問題というのは、いまだに生きているとおもっているけれどもね。つまり、反権力的な言論をやった先生がね、政府からお金をもらって生きているのはなぜなんだ、ということだよ。簡単なことだよ。(武田は、何かもらわなきゃ生きていけないからね、といなす)
〇 つまり、否定することに対する喝采というのは、僕は全部嫌いになったんだよ。
僕としては、ますますテキトーなことを書けなくなってきた。

三島には生きててほしかった。踏ん張ってほしかったと思いました。
実際に手を下して何かをすることとの距離が。
短けれな短いほどいいのでしょうが。。
なかなかそういうふうにはならずに。
結局は「言うだけやないか」の虚しさは(三島の?)わかるような気がしても
やっぱり「わかるだけ」と言うのも言うだけやな。
と言う気がします。
楽しませていただいて有難うございました。

でも私の気づいたのは一通だけでしたよ、それもまったくナンセンスな餓鬼の喧嘩の悪口みたいなもので、無視もしくは削除してもいいようなものでしたが、どういう返答があるかと思ってそのままにしています。
返答も出来ないようです。