方言
2022年 06月 20日
車谷長吉「武蔵丸」に出てくる播州言葉の一部だ。
方言がでてくると、とたんにその人の輪郭がはっきりと立ち上がってくるような気がする。
土地の訛り抜きにその人のことを考えられないような、たとえば坂本龍馬とか西郷隆盛みたいな人がいる。
内田百閒は、標準語で書いたけれど、どこかに学生時代の岡山の友人たちの言葉遣いを感じる。
「故郷の訛り懐かし」と歌った啄木は作品のなかで方言を使うことができなかったらしいが、啄木の10年後輩の宮沢賢治は方言を意識的に使用した。
「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」、「永訣の朝」に出てくる妹の臨死の言葉、これを標準語で「雨雪(みぞれ)をとってきてちょうだい」と書いたら、この詩の力は半減してしまうだろう。
井伏鱒二は、方言をもっと狡猾に利用したのではないか。
落語家が、故意にいい加減なず~ず~弁を使うように。
それを聞いて探し当てた湯に入るときは、自分が八ツあんになった気がした。
言葉を字で書くと標準語と変わらなくても、そのイントネーションとか言い回しが、その土地を感じさせるのもいいものだ。
播州姫路で銭湯のありかを訊いたときもそういう風にこたえてくれた小母さんがいた。
うろたえる たくさん ごしゃごしゃ(の意味か?) 見せびらかす せんだっても ぺいぺい(新米)
あべこべ こすい 味が濃い
すべてスマホで教えられた。
高校の時の現国の先生と化学の先生が宮沢賢治を研究している方で特に現国の先生が「永訣の朝」について丁寧な授業をしてくださったことを思い出しました。
先生は詩を朗読したとき泣いていたと思います。確かに・・・
ポロシャツやTシャツの洒落たものが並んでおりました。
世に言うデパ地下は、色鮮やかな食品ばかり。
きれいな甘味に目を楽しませ、結局口は楽しませんでした。
十和田の旅の時、ガイドさんは青森出身で花巻在住、説明は標準語でしたが、かつて一緒に生活をしたことのある青森の女性と同じ文字には出来な発音を聞くたびに嬉しくなりました。
昨日宮沢賢治と妹の話をたまたましたばかりで、saheiziさんの記事におあいし、ふと嬉しくなりました。
これは本人は知らないうちに出てしまったのでしょうね、それがいいなあ。