懐かしのギャビン・ライアル&陳さん 「死者に鞭打て」

今読んでいる車谷長吉の短編「白痴群」の主人公は小学一年生、祖母に欲しいものを「買って買って」という。
落語「初天神」の金坊のように、買ってもらうまで大声で泣き騒いで親を困らせるというほどではない。
僕は親とか祖母とかにものをねだることはしなかった、と思う。
お菓子などもそうだし、服や靴なども、もう小さくなったと思っても買ってとは言わなかった。
躾がいいのではなくて、買いたいと思っているのは母も同じだけど、買いたくても買えないということがわかっていた。
友達が新しい服を着て来ても羨ましいとは思わず、別世界の出来事だと思っていた。
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それでも、欲しいものがなかったわけではなくて、本とか辞書とかカメラは新聞配達をして買った。
あれは中学のときだったか、山梨の伯母に連れられて東京の伯父さんの家に遊びに行った。
郵政省の技研の所長をしていたから、別世界の人だ。
正面から「万年筆を買って欲しい」と言えなくて、これ見よがしに雑誌の広告を見ながら独り言のように、この万年筆かっこいいなあ、みたいなことを云っていた。
気がついて、買ってくれるかもしれない、と期待していたのに、山梨の伯母が「万年筆が欲しいらしいけれど、高くて買えないものね」と東京の伯母にしゃべっているのを聞いて、顔から火が出るほど恥ずかしかったことを覚えている。
高三のときに、別の叔父がアメリカ土産で買って来てくれたパーカー万年筆は、いったいどれほど使ったのだろう。
その後、いろんな万年筆を貰ったり買ったりしたけれど、今たった一本のこっているシェイフアーも最後に使ったのはいつだったか、きっと診てもらわないと使えなくなっているだろう。
腕時計も使わなくなって二十年ではきかないな。
なんでこんなものをあんなに、焦がれるほど欲しがったのか。
まあ、万年筆は必需品ではあったけれど。
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ギャビン・ライアルの「深夜プラス1」は、それに惚れ込んだ「読まずに死ねるか!」の内藤陳が、同名のバーを歌舞伎町に出して、僕はその看板だけ見て、物おじして入れなかった。
何か気の利いたセリフを吐かないとバーの客と認めてもらえないのではないか、と自意識過剰だったな。
陳さんが、亡くなったのは2011年、震災の年だった。
今の僕は、彼がいるあのバーに入ったら、ミステリのことなんかに一言も触れずにウイスキーのオンザロックを飲むのか、それともごく自然に「死者を鞭打て」を読んだなどとしゃべるのか。
いくら年をとっても自意識はあふれかえる。
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ちょっと無駄に長いような、海上保険の仕組みが分かりにくい(これが重要なのだ)ところがあったが、最後まで一気二気三気くらいで読んだのだから、さすがはギャビン・ライアルだ。
二転三転の冒険ミステリ(そんな言葉があったか)、それにしても連中はよく呑むなあ。
コーヒーは水代わりで、ウイスキーのソーダ割やらストレートを場面転換のたびに呑む。
こういう小説を会社の行き帰りに読んでいたのだから、実社会でもウイスキーをよく呑んだわけだ。
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窓は閉まっていて、部屋のなかにはかすかにパイプのけむりの混じった、乾いた、暖かい、汚れた空気が充満していた。情報部員のオフィス特有の匂いだ。彼らは、テームズ河の南にある秘密の工場でこの匂いをつくりだし、その匂いはロンドンじゅうの情報部のオフィスにパイプで送られる。彼らが汽車に乗り、地下のトンネルをこえても、この匂いはついていく。この匂いは精神にとてもいい作用をおよぼす。たっぷり吸えば、怒りも、悲しみも、そして心配さえ失われてしまう。
昔のスパイアクションを読む時もそんな匂いが胸のなかに充満する。
その本が厚ければ厚いほど、その匂いは楽しみの予感とともにやって来る。
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このミステリはノルウェーが主な舞台になるのだが、エストニアのタリンも登場する。
まだソ連領内の共和国だったころのエストニア、多和田葉子のエッセイで知った土地、活劇の舞台にはならなかったのが残念だ。
Commented by kogotokoubei at 2022-06-20 17:39
ギャビン・ライアル、懐かしいなぁ。
「ちがった空」「もっとも危険なゲーム」「深夜プラス1」など、前期の作品が好きです。
スティーブ・マックイーンが「深夜プラス1」の映画化権を持っていながら、生前に映画にできなかったのが、残念。

ライアルの本は、フリーマントルのチャーリーマフィンのシリーズや、ジョン・ル・カレのスマイリー・シリーズなどと並行して読んでいたと思います。
内藤陳のお店には、私も結局は、行く勇気がなかった(^^)
Commented by saheizi-inokori at 2022-06-20 19:02
> kogotokoubeiさん、私はこの頃はほとんど通勤途上の読書でしたから、手当たり次第にミステリーや冒険小説を読みました。競馬シリーズ、ホーンブロワーシリーズ、、あれを全部とっておいたらちょっとしたミステリー図書館ができたかもしれません。
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by saheizi-inokori | 2022-06-18 12:51 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Comments(2)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori