店屋物
2022年 06月 16日
子供の頃、それほどひどくない風邪ひきで学校を休む時、いつもというわけではなかったけれど、母は会社に行ってしまって、あれはどうやって注文したのだろう「かけ饂飩」、駅前から自転車に乗ってたった一つを配達してくれる。
カギのあいている玄関の戸をがらがらっと開けて、「はい、お待ちどうさま、ここに置きますよ」、真っ黒な汁から、ぷ~んと醤油とカツブシの匂いがして、自分ひとり、弟は食えないと思うと申し訳ないような、得をしたような気がした。

夜遅く帰宅して玄関先に丼などがおいてあると、ああ、また、と暗い気持ちになった。

目の前が横浜中華街で、葱ソバなどうまいものがたくさんあるのに、囲碁のようなものの方が魅力があったのだ。

10人くらいが、てんでに「かつ丼」「カレーうどん」「天丼」「モリ蕎麦の大」「おれはそれに卵つけて」などというのを庶務の男がメモして駅前の蕎麦屋に電話する。
東京北局から給与課に行ったばかりは、さすが本社はちがうなあ、待遇がいいや、と喜んでかつ丼を頼むことが多かった。
ところが給料日になると庶務がまわってきて「え~と、佐平次さんは五千いくらです」と集金するのだ、早く云ってくれって。
それからは「モリの大、玉子付き」が多くなった。
それにしても、人の食うかつ丼はうまそうに見えたものだ。



サンチ君、かわいいなあ♡
なでなで、抱っこしたくなります^^。
紫陽花は、やはり雨が似合いますね^^。
叔母の家に用事で行った時に「店屋物で御免なさいね」と何だったか用意してくれ
その言葉を知りました 20歳ころだったと思います
私にはその店屋物が凄いご馳走に思えとっても嬉しかったのです
子供の頃の食卓はどうだったのか記憶にありませんが不満があった気もしていません
世間を知らなかったってことでしょうね
生まれ育った場所が大学の所有する国有林を管理するところだったので店屋物を取りたくても町から遠すぎて配達してはくれません。
母がたま~に街に行ってビニール袋に冷麺などを入れてもらい持ち帰るのが楽しみでした。
私なんてかつ丼を初めて食べたのは社会人になってからでした。
美味しすぎて・・・こいうものを好きなだけ食べられるように頑張ろう!と思ったものです。
saheiziさんの職場で男の人たちが店屋物をモリモリ食べている様子が目に浮かび、いいなって思いました。


でも、実家にはこの習慣がなかったので、結婚してそれができる状況になっても、なかなか馴染めませんでした。
ドイツでもコロナ以来、契約レストランから運んでくれるサービス業ができて、店屋物が取れるようになったのですが、まだ頼んだことはないし、頼みたいとも思いません。店屋物はやっぱり蕎麦とかお寿司が似合いそうです。

saheiziさんの来し方のを読んでいますと懐かしい感じがしてきました。
美味しかったのだとわかります。
最近、藤井さんなどの勝負飯が話題になりますが、どんな感じでお腹に入るのかしら。
ちょっと憧れもあります。
でも根がケチなので、コンビニのオカズやご飯も買えない、、
自分で作れば何分の1で出来ると計算してしまう(^^;
きっと寝たきりになって息子の介護を受けるようになったら
憧れの店屋物が食べられるかも、、、