機関区で食ったかき揚げうどん
2022年 05月 02日
サンチはトリミングなので、ちょうどいい、おいてくのが可哀そうなのだ。
雨が降り出してちょっと寒いような感じだったので、ふたりともかけ饂飩550円、それにカミさんはサツマイモの天ぷら(大きいの二枚)100円、僕は玉ねぎのかき揚げ(これもでかい)130円をつけてもらった。
サツマイモの三分の一と玉ねぎの少しを交換して、どっちもうまい。
サツマイモの天ぷらなんていつ以来だろう。

「上品ではない」味が懐かしい。
国鉄に入社して仙台機関区で実習した時に機関区の売店で売っていた蕎麦や饂飩を思い出すのだ。
離れたところでも漂ってくる食欲をそそる匂い、近づくともうもうと湯気を上げている。
かけ饂飩(蕎麦も)が20円、かき揚げとか野菜天が5円くらいだったか、うどんの玉を柄のついた笊に投げ入れ、湯気を上げている大きな釜のなかでちょっと温めて、丼にポイ、かき揚げもポン、刻んだ葱を多めにのせて、七味をふって食う。
カツブシの味が利いた醤油でまっくろな汁が、天ぷらの衣と渾然一体となって、遠慮会釈なく味蕾と嗅覚を刺激する。
ワカメ、玉子などを奢るとますますうまくなった。
味も喰い方もけっして上品とは言い難いが、その「強烈さ」や「押しつけがまさ」が「くせ」になる。
独身寮をでるときに晩飯を食ってきたのに、この匂いを嗅ぐともう、我慢ができなくなるのだった。
立ち食いそば屋でかき揚げうどんを食ったことは、ほかにもなんどもあるのに、この仙台機関区で食ったかき揚げうどんが印象ふかく思い出される。
もしかすると社会人になるまで、かき揚げうどんを食べたことがなかったのかもしれない。
記憶に残っているのは長野高校の売店の饂飩だが、それにはかき揚げはなかったように思う。
炭殻を敷き詰めた機関区の構内、木造のたしか一層の長ぼそい建物、うす暗いロッカールーム、点呼台、壁一面に貼ってある標語、大きな風呂。
転車台があって扇形の機関庫にブルンブルンと胴震いしていた蒸気機関車、、そんな今までに見たこともない(今見ることも出来ない)環境で機関士(助士も)の見習いをする。
そういう胸躍る体験の点景としてかき揚げ饂飩の印象が刻み込まれているのだろう。
油の匂い、コークスや石炭の匂いを突き抜けてきた饂飩の匂いも強烈だったのだ。
蒸気機関車の姿と音を聞いていると泣けてくる。
あれを運転できたことが、僕の鉄道人生の原点であり頂点でもあったのだ。
あとはみんなオマケなのだ。
最後の部分「原点であり頂点」では羨ましくなりました。
「熱」を持っている人にしか得られないのかもしれません。
saheiziさんは本物の人生を歩まれたんですね。
美味しそうな匂いにつられるのですが、若い頃は恥ずかしさで食べませんでした。
50歳過ぎて、頻繁に食べるようになりましたが、あの味は国鉄の立ち食いしかありません。
田舎の両親の看病に通ったころに遅く食べた立ち食いうどん、郷愁を誘う匂いです。
まだ蒸気機関車が走っていて。
トンネルに入ると。みんな窓を閉めるのですね。
どうして?と不思議だった。
煤が入ってくると教えられたものでした。
たった一回。どこの駅だったか忘れてしまいましたが。
汽車?のホームで立ち食い蕎麦を食べたことがあります。(興味津々で)
乗り換えの10分ぐらいで食べられるのかしら?
と思ったのですが。食べられるものですね。
垂れ流しはずいぶんあとまで解消されず「黄害」といって労使の間でも大きな問題になりました。
短い時間に食べられるように、御汁の温度を低めにすると聞きました。
でも山などを見ながらホームで食べる蕎麦は格別の味わいでした。