夢幻能のような 『フインツイ・コンティーニ家の庭』
2022年 04月 27日
夕方散歩に出ると雨が降って来た。
直ぐに戻って傘をさしてコートを羽織って歩いた。
どんどん土砂降りになってきて、風も強くなる。
素足にサンダルだから濡れても気にならない。
雨の公園で二人の子供がびしょぬれになって駆けまわっている。
「雨が、、」何だか、雨雨と歌うように叫びながら。

僕も土砂降りの中を駆け回るような子供だった。
石鹸つけて夕立のなかに飛び出したこともある。

池の鯉を撮ろうとして、傘の柄を顎で押さえて苦闘していると、さっきの二人が見に来て、「雨でケイタイが濡れないように気をつけてください」だって。
変な爺にみえたんだろうな。

『フインツイ・コンティーニ家の庭』を読了、余は満足である。
ゆっくり、ゆっくり、時間をかけて読むべき本だ。
ナチスが猛威を振るう、あの時代に、そこに生きる人々のことに、とくに未来を拒絶されたユダヤ人たちのことに、それでも恋をしたり、その恋が実らなかった若者たちに、思いを馳せながら読む。
そこに登場する芸術家の名前をいちいち調べたり、デ・ピシスの描いた絵を検索してみたりして読む。
わたしのほかは、いっさい心の動きが説明されない人々、エルマンノ教授、アルベルト、オルガ夫人、彼らに仕える何でも屋のペロッティなどの、心を察してみようとする。
彼らの、生き生きと描かれた会話を味わう。
ドイツに送還されたミコラとは(少しだけ)違って、不信感をもちながら未来に向かって戦い続けるわたし(=作家、バッサーニは反ファシズムの地下組織に参加、たびたび投獄される)。

読み終えて、僕は夢幻能の舞台を観終わったような気がした。
リアルな世界の生死を超えた者たちの交歓を観たような。
直ぐに戻って傘をさしてコートを羽織って歩いた。
どんどん土砂降りになってきて、風も強くなる。
素足にサンダルだから濡れても気にならない。
雨の公園で二人の子供がびしょぬれになって駆けまわっている。
「雨が、、」何だか、雨雨と歌うように叫びながら。

石鹸つけて夕立のなかに飛び出したこともある。

変な爺にみえたんだろうな。

ゆっくり、ゆっくり、時間をかけて読むべき本だ。
ナチスが猛威を振るう、あの時代に、そこに生きる人々のことに、とくに未来を拒絶されたユダヤ人たちのことに、それでも恋をしたり、その恋が実らなかった若者たちに、思いを馳せながら読む。
そこに登場する芸術家の名前をいちいち調べたり、デ・ピシスの描いた絵を検索してみたりして読む。
わたしのほかは、いっさい心の動きが説明されない人々、エルマンノ教授、アルベルト、オルガ夫人、彼らに仕える何でも屋のペロッティなどの、心を察してみようとする。
彼らの、生き生きと描かれた会話を味わう。

ふたりとも正常な人間を特徴づけるあの現実への本能的な執着を持ちあわしていない。スタンダールの「すべてを失うことは、何ものをも失わないことである」という言葉を<あたかも不意に放たれた啓示めいて、打たれ、救われ解放されたように感じた>ユダヤ人の青年・わたしに気持ちを添わせる。
わたしにとって、彼女に劣らず、物を所有することよりもおのれの思い出の方が大切なのだ。つかのま欺くように立ちあらわれるにすぎない思い出の方が。よくわかるのよ!現在がすぐさま過去に移行することへの私の不安、それゆえにこそ、現在を可能なかぎり愛そうとむなしくつとめるのだ。彼女にとっても事情は同じである。いつもうしろを振り向いたまま前に進もうとする。これこそ、わたしたちの悪徳である。
ドイツに送還されたミコラとは(少しだけ)違って、不信感をもちながら未来に向かって戦い続けるわたし(=作家、バッサーニは反ファシズムの地下組織に参加、たびたび投獄される)。

リアルな世界の生死を超えた者たちの交歓を観たような。

by saheizi-inokori
| 2022-04-27 11:37
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
Comments(0)