死者を思う 「フィンツィ・コンティーニ家の庭」

カミさんが三度目のワクチンを打った。
副反応を怖がる、それが僕にも伝染してよく眠れなかった。
自分のときはほとんど心配しなかったのに、人のときは心配なのだ。
自分なら自分でそれなりに対処できるけれど、人のはオロオロするしかない、まあ、せいぜい家事の手伝い、ったっていつもやってるしね、心配してやることしかないのだ。
今のところ、肩が痛い、重い程度、このままで済めばいいのだが。
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山田稔「特別な一日」の「特別な一日」のなかに、イタリア映画「特別な一日」のことを書いたなかで(なんと回りくどい書き方だろう、われながら)、
イタリアの小説と映画の関係でいえば、『フエルラーラ物語』より少し後に、同じバッサーニの『フインツイ・コンティ-二家の庭』を私は訳者の大空幸子さんから贈られて読み、その後まもなく(1970年)、それを映画化したデ・シーカ監督の作品(邦題「悲しみの青春」)をみていた。この小説もフエルラーラが舞台である。ユダヤ人の大実業家の一家がファシズムのもとで迫家されるにいたるいきさつを、当時の政治的背景とともに描いた深刻な内容のものである。
と書いてある。
迫家という言葉、辞書二冊にあたって調べてみたが見当たらない、迫害の誤植か。

このところ、島京子といい本書といい、山田さんにすっかりお世話になっている。
その17ページまで読んだ。
なにせ古めかしいともいえる文体で、カタカナがたくさん出て来て(中国語よりましだが)、
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こんな小さな活字が二段、ぎっしりだから、小説の世界を掴むのに時間がかかった。
アウレリア、ティレニャ海、チェルヴェテリ、フェルラーラ(フェラーラ)などの地名をいちいちスマホで調べてみたり、エトルリアについての知識を再確認(みんな忘れていた)したり、こういうことは読書の楽しみの一つであると思うけれど。

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「わたし」は、毎月の最後の週に行く習慣にしていたドライブの途中で、アウレリアからまっすぐにローマに帰らず、エトルリア人の共同墓地を見に行く。
一行の一人、9歳の少女が「どうして昔のお墓は新しいのより寂しくないの?」と父親に尋ねる。
父親は、「それはねえ、最近亡くなった人たちはぼくたちにもっと近いだろ、だから昔の人たちよりその人たちのことをよく思うんだよ。エトルリア人は、ずーっとまえに死んでいるんだものね。
まるで生きていたことがなかったみたいに、いつも死んでいたみたいに」と答える。
すると少女は
でも、そうおっしゃるけれど、わたしはエトルリア人だって生きていたと思いたいの、そしてほかの人たちと同じように大切に思ってあげたいの
と、やさしくしかもはっきりいった。

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この少女の言葉に導かれて、「わたし」は青春のはじめのころの数年を歩みはじめ、フェルラーラのユダヤ人墓地を見る。
そこの記念碑的な荘厳確固たる、一族の卓越性を示唆しているフィンツィ・コンティ―二家の墓地には、「わたし」が愛したフィンツィ・コンティ家の人々のうち、1942年に肉腫で逝った次男たった一人しか埋葬されていないことに気付くのだ。
妹のミコル、父のエルマンノ教授、母のオルガ夫人、オルガ夫人の中風の高齢の母堂であるレジーナ夫人は、43年の秋、全員、ドイツに追放されたのだった。彼らは、どのような墓であれ、見つけることができたであろうか?
序章は、こうして終わる。
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by saheizi-inokori | 2022-04-22 11:39 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Comments(0)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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