不完全な人生
2022年 04月 18日
アナウンサーが二試合連続の完全試合なるか、などと盛んに言うのを、なにを浮かれてアホなことを、と思って聞いていたが、あっというまに六回七回と危なげなく完全を維持し、八回も三者三振、あっけなく奇跡を成し遂げるかと思いきや、味方も点をとれなくて九回は井口監督が佐々木を登板させなかった。
佐々木の完全なピッチングの裏で、ロッテを無得点に抑えた上沢などの日ハム投手陣も立派、二試合連続の完全試合もいいけれど、こういう展開もいかにも人生の機微のようで味わいがある。
ときおり俯瞰でみせるロッテマリン球場の映像が懐かしかった。
もう少し食べたいところで我慢。
「青柳瑞穂と骨董」。
「詩人であって、フランスの小説を翻訳し、美術評論家でもあり、粋人であって骨董好き」の青柳が72歳で亡くなったあとの文章、青柳の骨董に対する姿勢を良く表すエピソードが興味深い。
僕は昭和二年から青柳君と近所づきあひをして来たが、何度も喧嘩をしたり何度も仲なほりをしたりした。先方は温厚に見える粋人だが一徹で、僕の方は物にこだはる性分だから、喧嘩しなくてつてもいいのに聊か含むところがあるやうな風をしたこともある。こちらがからりとしてゐなかつたのだ。自分でもさう思つてゐるくせに、むくれてゐる方が却つて気が楽だと思つてゐたこともある。井伏が徴用されてマレー半島に行くときに、青柳は鎌倉時代に武将が出陣の際に兜の頂辺に納めていた仏像を持って来てくれた。
その話をもとにして「吹越の城」という短編を書いた。
それを青柳君に読んでみてくれと云つたが、たうたう読んでくれなかつたやうだ。青柳君は僕の書いたものは、「山椒魚」といふ処女作一篇のほかには五篇か六篇か、それも書きだしの五六行しか読んでゐないやうであった。だが、それはそれでいい。ずゐぶん長いつきあひであつた。引用した二つの文章の間に、その「長いつきあひ」の片りんが描かれている。
筑摩書房の編集者(のち初代社長)であった古田は「太宰治の人柄と作品を高く買って原稿料もどっさり出した」。
その古田が井伏のところにやってきて言うには、太宰はいま大宮の寓居に閉じ込められているが、このままでは肉体的にも駄目になってしまう。だから、御坂峠の茶屋に連れ出してくれないか。彼はいま生死の瀬戸際にいるような気がする。
米を買うだけでも大変だから無理だというと、米や馬肉やジャガイモを古田の郷里の信州から取り寄せて持っていく、一週間や二週間でなく、一ヶ月一緒に暮らしてくれ、太宰は古田が説得する、といい、井伏は承諾した。
古田が信州に行って帰京する前の日に太宰は死んだ。
古田晃のことを書いた野原一夫の本を読んだような気がする。