傘寿の同期会
2022年 04月 16日
きのうは、国鉄入社の同期会「最終回」があった。
隠居してから、高校の同窓会も含めてこの種の集まりには、すべて欠席してきたが、コロナ直前に千葉局の人事課の集まり(この会の創始者は僕、名前「新葉会」も僕がつけたのだ)に出てから、少し気持ちも変わった。
もう前のように、ナントカやカントカの会が多くなくなったことと、かつての仲間たちの顔をみておきたくなった。
それで4年ほど前に、あの時もこれが最後になるだろうと誘われた喜寿の会というのに出席したのだ。
それが終わりにならないで、こんどは傘寿の会であり最終回というわけだ。

(桜新町)
夏休み明けの登校日のように、懐かしいみんなに会いたい気持ちとちょっと照れくさい気持ちを抱きながら会場のホテルまで歩いた。
革靴(しかも皮底)を履いて歩くのは久しぶり、天気予報のように大雨だったら、地下鉄の駅からタクシーに乗ろうかと思っていたが、地上にでると雨も小止みだし、舗装路に水も溜まっていないようなので、700メートルほど歩いた。
受付で「おお!佐平次か、よく来たな」と笑顔で迎えられた途端、何年かフリーズしていた時間が急速解凍した。
73名の同期生のうち、物故者が14名、残りの59名のうち出席者は34名が北海道から九州から、コロナにもめげず集まった。
コロナだけでなく、見ていると、足を引きずるようにしている人も多いし、尋ねれば、怖いような病と闘っている人も多そうだ。

冒頭、物故した友人たちに黙祷をした。
一人一人の名前を読み上げると、入社当時の嬉しそうな顔などが浮かんでくる。
この3年ほどに亡くなった7人のなかには、前回の喜寿の会で元気な様子を見た男の名前もある。
彼らに、ちゃんと黙祷できたことが出席の最大の意義だった。

事務、運転、工作、施設、電気の各系統代表の挨拶のあと、俺にもしゃべらせろ発言希望者がいなかったら、とつぜん僕に指名がきた。
長いこと欠席を続けてきたのは、偏屈故でもあるが、この会だけに欠席してきたのではないこと、今は世田谷に住んでいる同期で寿司屋会をやっていることなど、一分足らず話して座った。
北海道から来た男に、僕が名古屋で左遷されているときに、「東京に出て来た時はいつでもつきあうよ」と言ってくれた(彼はとうじ東京本社)ことの礼を言った、40年ぶりのお礼だ。
もっとも、あの「左遷」で働いた名古屋臨海鉄道の日々は黄金の日々であったし、そのことが僕の人生観を深めてくれて、その後の生き方を決定づけたのだ。

何人もが、これで終わりなんて言わずに、米寿にもとか、札幌オリンピックには(いつのこったい!)などと声があがり、幹事も「その時々で元気な人の声かけによって」などと答えて、鉄道学園当時の「先生」(84歳)の音頭で万歳を三唱して散会となった。

ホテルでの二次会は失敬して、ふたたび駅まで歩いたが、こんどは皮の底から水がしみてきて、ずっと座っていたために足のしびれもあり、傘をさして「ああ、これを傘寿というのか」とおもいつつ家路をたどった。
壇上に立った何人かが「残された日々は、もう”マスト”とか”ねばならぬ”に囚われず、やりたいことを楽しくやって過ごそう」と言ったので、今朝は土曜日の大掃除をやらないですまそうと、寝坊するつもりだった。
それでもそうは寝ておれず、起きてみれば、仏壇はきれいにしておきたいし、トイレと玄関も、いつもの洗面所もと、全く何もやらないことにはならなかった。
しかし、ねばならぬと思ってやるのと、やらないでもいいのだけれどやるのとでは気持ちはずいぶん違うものだ。

れいわ新撰組の山本太郎が、衆議院議員を辞めた。
こんどの参院選の地方区から出るという。
その気持ちを語る記者会見、ちょっと長いけれど、どうぞ。
彼のいうことすべてに同感できなくても、現在の日本に対する危機感には共感できる。
隠居してから、高校の同窓会も含めてこの種の集まりには、すべて欠席してきたが、コロナ直前に千葉局の人事課の集まり(この会の創始者は僕、名前「新葉会」も僕がつけたのだ)に出てから、少し気持ちも変わった。
もう前のように、ナントカやカントカの会が多くなくなったことと、かつての仲間たちの顔をみておきたくなった。
それで4年ほど前に、あの時もこれが最後になるだろうと誘われた喜寿の会というのに出席したのだ。
それが終わりにならないで、こんどは傘寿の会であり最終回というわけだ。

夏休み明けの登校日のように、懐かしいみんなに会いたい気持ちとちょっと照れくさい気持ちを抱きながら会場のホテルまで歩いた。
革靴(しかも皮底)を履いて歩くのは久しぶり、天気予報のように大雨だったら、地下鉄の駅からタクシーに乗ろうかと思っていたが、地上にでると雨も小止みだし、舗装路に水も溜まっていないようなので、700メートルほど歩いた。
受付で「おお!佐平次か、よく来たな」と笑顔で迎えられた途端、何年かフリーズしていた時間が急速解凍した。
73名の同期生のうち、物故者が14名、残りの59名のうち出席者は34名が北海道から九州から、コロナにもめげず集まった。
コロナだけでなく、見ていると、足を引きずるようにしている人も多いし、尋ねれば、怖いような病と闘っている人も多そうだ。

一人一人の名前を読み上げると、入社当時の嬉しそうな顔などが浮かんでくる。
この3年ほどに亡くなった7人のなかには、前回の喜寿の会で元気な様子を見た男の名前もある。
彼らに、ちゃんと黙祷できたことが出席の最大の意義だった。

長いこと欠席を続けてきたのは、偏屈故でもあるが、この会だけに欠席してきたのではないこと、今は世田谷に住んでいる同期で寿司屋会をやっていることなど、一分足らず話して座った。
北海道から来た男に、僕が名古屋で左遷されているときに、「東京に出て来た時はいつでもつきあうよ」と言ってくれた(彼はとうじ東京本社)ことの礼を言った、40年ぶりのお礼だ。
もっとも、あの「左遷」で働いた名古屋臨海鉄道の日々は黄金の日々であったし、そのことが僕の人生観を深めてくれて、その後の生き方を決定づけたのだ。


壇上に立った何人かが「残された日々は、もう”マスト”とか”ねばならぬ”に囚われず、やりたいことを楽しくやって過ごそう」と言ったので、今朝は土曜日の大掃除をやらないですまそうと、寝坊するつもりだった。
それでもそうは寝ておれず、起きてみれば、仏壇はきれいにしておきたいし、トイレと玄関も、いつもの洗面所もと、全く何もやらないことにはならなかった。
しかし、ねばならぬと思ってやるのと、やらないでもいいのだけれどやるのとでは気持ちはずいぶん違うものだ。

こんどの参院選の地方区から出るという。
その気持ちを語る記者会見、ちょっと長いけれど、どうぞ。
彼のいうことすべてに同感できなくても、現在の日本に対する危機感には共感できる。
傘寿う四人とは、すごい!
居残り会も、そろそろやりますか^_^
居残り会も、そろそろやりますか^_^
1
傘寿余人、とすべきでした^_^
皆さん余人には代え難い、という意味で!
>kogotokoubeiさん、一人ドタキャンで34人になりました。
その一人は、この間いっしょに寿司を食った男、あの会の幹事です。
彼が入院したと聞いた、同じ寿司屋仲間が「じゃあ、こんどの会の幹事は誰がやるの、あの十四代が飲めなくなるのは辛い」と言ったことを、壇上で披露したのでした。大した病気ではないようですが。
さっそく一人入会希望者が現れましたよ。
その一人は、この間いっしょに寿司を食った男、あの会の幹事です。
彼が入院したと聞いた、同じ寿司屋仲間が「じゃあ、こんどの会の幹事は誰がやるの、あの十四代が飲めなくなるのは辛い」と言ったことを、壇上で披露したのでした。大した病気ではないようですが。
さっそく一人入会希望者が現れましたよ。
万歳三唱して散会 クスッ!!

入社が同期ということで集まったか方々は同年齢ということですね。
私達は高校も大学も昨年傘寿の会のはずでしたがコロナで全部流れました。
それにしても物故された方が少ないこと。
というのも私たちの場合と思わず比較してしまいました。
高校に400人中50人が女子だったのですが、その女子が悲惨なのです。すでに3年以上も前に34%亡くなっています。高校クラスは26%、大学クラスは27%で、saheiziさんのこの職場同期の1.6~2倍は物故者になっています。ここまで生きると平均余命が又長くなるのでしょうが、傘寿になっても3人に2人は元気にあるいは故障してでも生きていること・・この年齢で改めて長寿社会であることを認識しました。
最近なんでも最後というのが多くなって時には寂しくなります。残された数年をどう生きるか。決して健康的でなくそれが心まで健康でなくなっていくのが嫌です。
私達は高校も大学も昨年傘寿の会のはずでしたがコロナで全部流れました。
それにしても物故された方が少ないこと。
というのも私たちの場合と思わず比較してしまいました。
高校に400人中50人が女子だったのですが、その女子が悲惨なのです。すでに3年以上も前に34%亡くなっています。高校クラスは26%、大学クラスは27%で、saheiziさんのこの職場同期の1.6~2倍は物故者になっています。ここまで生きると平均余命が又長くなるのでしょうが、傘寿になっても3人に2人は元気にあるいは故障してでも生きていること・・この年齢で改めて長寿社会であることを認識しました。
最近なんでも最後というのが多くなって時には寂しくなります。残された数年をどう生きるか。決して健康的でなくそれが心まで健康でなくなっていくのが嫌です。
> tonaさん、系統でいうと、電気系統の人がいちばん亡くなっていて、私たち事務系は16人中二人が亡くなり、二人が車いす生活かつ遠隔地なので欠席(前回はそれでも出て来たのですが)、12名が出席しました。
会長をやって現在顧問、経団連の役員をしている大塚陸毅君もその一人です。
会長をやって現在顧問、経団連の役員をしている大塚陸毅君もその一人です。
傘寿の会と聞き「私もあと6年は頑張れる」と嬉しく思いました。
> ikuohasegawaさん、あっという間ですよ。しかし登り坂を足を引きづり息を切らしながらのこの四年でした。

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
> 鍵コメさん、私も百田尚樹の本は出光石油のことを書いた本以外は読んでいません(あれはおもしろかった)。
ウクライナの準国家組織・アゾフ大隊はネオナチだと書いてあった、公安調査庁の記事が削除されたそうです。
いまもなお、事実の改ざんないしは隠ぺいが進んでいるのだと思います。
ウクライナの準国家組織・アゾフ大隊はネオナチだと書いてあった、公安調査庁の記事が削除されたそうです。
いまもなお、事実の改ざんないしは隠ぺいが進んでいるのだと思います。
by saheizi-inokori
| 2022-04-16 12:35
| よしなしごと
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Comments(12)