手紙を書けなかった杜甫 「李白と杜甫」
2022年 03月 24日
それでも我慢できないようなカユミはおさまりプレドニン(ステロイド)が一錠減った。
薬はきっかり次回二週間後の診療日までの分しかくれない。
その日に風邪でもひいて出かけられなくなったらどうする?
電話してください、すぐ出られるかどうかは分からないけれど、だってさ。
自己責任というわけだ。
前回も飲んだ「世界で一番苦い」という「苦丁茶」、そんなに苦くなかったよ、というと、あれからいちだんと苦くしましたというので、呑んでみたがやはりそれほどでもなかった。
どちらも旨かったから、文句はないけれど。
李白の本領は情熱とエネルギーとにあり、それが何ものにも束縛されず勢いよく奔騰しているところに特色があり、杜甫の本領は意思と構成力とにあり、それが大きな建造物のようにどっかと大地に根をおろしているところに特色がある。
それをいくつかの実例に即して、なるほど、と思わせてくれる。
こんな授業を受けていたら、漢文を好きになったのに。
隣りに貧乏な寡婦がいて、杜甫の家のナツメを盗みに来ていた。
杜甫は垣根の壊れているのをわざと修理せずに、気づかぬふりをしていた。
その家を引っ越すときにあとに来る人に、垣根を修理しないように申し送りをするのに詩をもってした。
それはとても分かりにくいのだ。
なぜ、口頭または手紙で書かなかったか?
全く信じられないようなことだが、杜甫は筋の通ったふつうの文章というものが書けない男だったのである。杜甫の書いた文章が「序」のような形で残っているが、それらはことごとくお話にならないほど、意味不明、脈絡不通の悪文ばかりなのだ。
杜甫は、おそろしくいびつな発達をした天才なのである。彼は詩という形をとらなければ何も言えなかった。言ったところで支離滅裂であった。若い頃から世渡りが下手で人との関係がうまくいかないと、杜甫が嘆き続けた原因はそこにある。
数少ない友人がいずれも、今日まで名が残るような詩人であり文学者であるのもそういうことなのかもしれない。
一例が「妻」、当時迄の中国の詩には、自分の妻を歌うことばも、表現も、歌い方も、存在しなかった。
はじめは杜甫も自分の妻を歌うのに、楽府閨怨詩という伝統的な詩の発想と用語とによって、中年のくたびれた妻を、あたかも楊貴妃が孤独に月を眺めているかのような描き方をしていた
が、のちになって、水浴びをする子供を眺めたり、暗い灯の下で故郷への手紙をしたためたりするような、生活の中で呼吸している生きた人間としての妻の姿を的確にとらえて詩としている。
それは詩の世界における革命ともいうべきものであった。
杜甫の思想の構造は、自己の生活の凝視を通じて、つねに関心が人間全体の生活にひろがってゆくという構造である。その関心をより強く訴えるために、杜甫は、想を構え語を練って詩を刻みあげた。杜甫!なんと魅力のある男ではないか。
今だ、生活の一部の食材にしていないことを
・・惜しむダケの私。
先日もビーツ 購入。
、、野菜室に置いたままダわ(_ _)と
思いながら 趣のある 記事を 拝見中です。
自分の生活の凝視を通じて 常に関心が人間全体にひろがっていくという構造=
素晴らしい詩人の存在に呼吸をするのが楽になる気がします 感謝します
独にはロシア、ウクライナ、ジョージア等から留学で来て活躍する若い音楽家も多く
成長を折々に感じ楽しませてもらってきました。いま言葉で言い表せられない気持ちです
コンクールで優勝のドイツ育ちの日本人のショパンを聴き乍読ませて頂いています
素晴らしい20歳のピアニスト よろしければ かわいい子です
Prize 2021, Yumeka Nakagawa - Chopin - Youtube