ありがとう
2021年 12月 31日
3時間以上、サンチがずっとついてまわるのが、嬉しい、いつもは猫のように丸くなっているのに、疲れないかい。
洗濯もして11時過ぎに朝飯、具だくさんの野菜スープにタクパンの全粒粉の食パン(僕はアマニオイルをつける)八枚切り二枚とイチゴとクルミを乗っけてハチミツも垂らした豆乳ヨーグルト。
メリケン粉に桜エビを混ぜたお好み焼きをするのが楽しかったなあ。
七輪の上でやったのだと思う。
掃除をしているときは何にも感じなかった、ぞわぞわピリピリが背中と首筋を這いあがってくる。
とまれ、こうして一年が終わろうとしている。
Ⅰ章「内と外とを隔てる壁とはなにか」と題して、ドイツのリトルイスタンブール、「トルコ人ゲットー」の成り立ち、トルコ人の勝手というより、ドイツ人がそういう移民街に『推し込め』ていった事情や、ムスリムがいつまで経ってもドイツ人になれないからイスラーム復興にアイデンティティを求めざるを得なかった経緯などを書いている。
この論争に関して、ドイツ社会には見えていない点がある。髪を身体の性的な部分と認識している女性に向かって、スカーフを取れと命じることがセクシャル・ハラスメントにあたることに気づかないのである。羞恥心からスカーフを被っている女性が存在するにもかかわらず、スカーフを着用するという行為を、原理主義だ、民主主義や人権に反する、と一くくりにしてしまうのは、なぜだろうか。それがどうした、日本にいる我々にどういう関係があるのか。
頭髪が羞恥心の対象か否かは個人の感覚による。そもそも国家が法によって規制すべき問題かどうかを疑うべきであろう。イスラームに関する論争は、信仰の問題として論じられるのではなく、政治的な問題にすりかえられてしまうのである。スカーフ着用に政治的な主張が込められることはあるが、信仰としての要素が視野から抜け落ちてしまうのである。その結果、信教の自由、表現の自由という基本的人権は、確信してスカーフを被る女性たちには適用されなくなる。
そんなことを嬉しがって書いて何が面白いのか。
そんな声が僕のなかにもある。
でも、こういうことを読んで、共感したり、それをブログに書いたりして僕の時は過ぎていくのだ。
皆様が健やかにいいお年を迎えられることをお祈りします。
トルコに行ったときにあまりの親日に感動した覚えがあります。
1年間あらゆる角度からの御本の紹介、未消化ではありますが、共感するところもあり楽しかったです。
画像認証、4桁のぞろ目、何かいいことありそうな。
sakeiziさんの頭脳にはついていけませんで、トンチンカンで申し訳なく思っています。
ありがとうございました。
来る年も宜しくお願いいたします。
元日に雪があることは少ないですが来年(明日)は白い元日となりそうです
こちらにお伺いして沢山の事を教えていただきました
saheiziさんが早くカイカイから解放されますように
来年もよろしくお願いします
40年以上前の高校生、そして大学生、教員になってからも
競技や引率・審判で通いまた。
嬉しくなりました、ありがとうございます。
来年も宜しくお願い致します。
それでは良いお年をお迎えください。
此方は暖かい年末の日々(本日13度)で 人々もニコニコしていい感じです
本日で原発もようやく千秋楽、原発推進派だった物理博士メルケルが原発を
終わらせた。カティ・マートン著「メルケル 世界一の宰相」を読み、人って
愚かで崇高で愛さずにはいられない存在などと偉そうに思ったりしております
いつも読んでいただき、丁寧なコメントをありがとうございます。
来年もよろしくお願いいたします。
今年こそ、居残り会復活の年になることを祈っております。