メモ帳

もうメモ帳はいらない、と書いたのに、本屋に行ったついでに買ってしまった。
不思議なことに気持ちが昂揚してきた。
さっそく、あとで自分が読めるように丁寧に予定を書き込んだ。
今のところほとんど病院の予定だけれど、そうじゃない楽しい予定を書き込む元気が(少しだけ)出て来たのだ。
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金子光晴自伝の残りと「どくろ杯」より「上海灘」「猪鹿蝶」「胡桃割り」を読む。
なにかが出発点でまちがっている。なにかのひどい犠牲になって、自分がここにいる。そういった感じは、二十代のはじめからずっと僕の心をしめつけた疑念であった。
生まれて来てすみません、太宰のようなセリフ、僕はそんな気持ちは毛頭なかったな。
なんとか食うものと居酒屋で呑む酒に苦労しなくてもいいだけの金を稼ごうと、それだけで頑張って来たのじゃないか。
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(オリンピックの金メダル阿部一二三を記念したポスト)

およそ、白秋や杢太郎から萩原朔太郎にいたるまで、大正時代の人たちのあいだでは、「自個」は元来おのれに似たものの寄せあつめで、それ自身が自発的にあゆみ出すための芯となる思考の根、つまり思索の実践力というものをもっていなかった。それは、あまりにもまぶしい舶来思想や表現力に圧倒されながら受け取ったものを何とか、ソシャクするだけでせい一ぱいの時代だったのだから、それもしかたがないことである。だから日本人は、まだ、個人がものを考える自由性にもなれていなかった。
感じるだけで、考えもしない時代。それが、大正という時代の限界として、僕らの心にうつる。
この点では、アナーキストにしても、大正の流行のコミュニストにしても例外ではない。彼らは、安易に人のあとについて反抗したり、主張したりした。悲憤したり、激昂したりしたが、黙々として終始を考えながら、人なき道を歩くような辛抱人はきわめて少なかった。
狂信者の強さが、反動的にもろく崩れて去就となると淡泊な、そんなあやふやな自個を、自個として自分も抱いていた、と金子はいう。
僕は大正以前か。
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上海の内山書店の内山完造は、おおくの食い詰め浪人を助け、金子と魯迅の出会いの場を作った人だが、彼の言葉がこう書かれている。
金子さん、あんたも苦労が多いらしいが私たち夫婦も日本ではさんざんなことをして食いつめ者の見本みたいなもんでした。人を騙したり、出しぬいたり、わるいことの限りをつくして、しまいには、この家内と二人、宿屋の二階でいよいよ心中する相談までしたが、耶蘇教に助けられて、今日まで生き伸びてきたようなわけで、、。
金子が作った『艶本銀座雀』というガリ版の本を売りさばいてやると現れた、「きょとんとした顔の、鼻がうえをむいて鼻の穴だけ大きくひらいた」小男の描写。
この男には、ユーモアが少しも感じられなかった。その代わりに、大きく、くらい生壁のような突きあたりがあって、そのむこうがもっとくらい、どんでん返しになっているような気がした。私たちのもっているくらさにはまだ苦しみがあって、うごめいたり、うずいたりしているが、この非力な小男のくらさは、屍体を放りこんでもどぼりと音のするだけの、汚物で流れなくなった深いクリークの底ぐらさと通じるものがあるように思われた。
不気味だなあ、会いたくないなあ。
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二つの胡桃割りのように(バルザックに倣っていうなら)、魯迅と郁達夫が連れ立って歩き、二人で相談したり沈黙を重ねているのを内山先生は、「つまらん相談をしている」と言ったが、それはアナーキストからコムニストに転向しようかと懊悩苦悶しているのだった。
現に校長をしている女学校の生徒たちが挨拶しても上の空だった魯迅も郁も、「身についたインテリ生活」や「ふかい文士的な教養」を捨て去れないのだ。

抄録でなく全文を読みたくなった。
魯迅も。

Commented by 佐平次ファン at 2021-12-22 17:07 x
「自己」ではなくて「自個」なのですか?
Commented by rinrin1345 at 2021-12-22 18:04
私も手帳とかノートを買うのが好きです。今使っていないノート勿体無くてどうしようか悩み中
Commented by saheizi-inokori at 2021-12-22 19:06
> 佐平次ファンさん、はい、そうなつています。どくとくの言葉ですね。
Commented by saheizi-inokori at 2021-12-22 19:10
> rinrin1345さん、私もノートは何冊かあります。使いかけも多いなあ。
スケジュール帳は毎年一冊ですが。
子供たちが小さい頃、友達の誕生祝いにノートや鉛筆をやったりもらったりしましたね。あれの未使用もありそうです。
Commented by 佐平次ファン at 2021-12-22 19:44 x
それでは読まないとわからないですね。
私は勝手に自己と書き換えて、鴎外の「妄想」や漱石の「私の個人主義」を思い起こしていました。
Commented by saheizi-inokori at 2021-12-22 21:55
> 佐平次ファンさん、私もこの短い文章でしか読んでないのですが、自己とそう変わらないような気がしましたよ。
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by saheizi-inokori | 2021-12-22 12:01 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Comments(6)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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