年賀状ふたたび
2021年 12月 20日
何も書く気がおきないままに、過去のブログで師走状況を見ていたら、16年前の師走12日に「年賀状再開」という記事を書いている。
なんと5年間も年賀状を書かないでいた。
母が亡くなって年賀欠礼したまま、再開しないでいたようだ。
現役だったから500枚書いている。
それで、僕の住所録はヌケが多いのだ。
いつもより、年賀状に対する思いが強いのは、急に加齢効果が出たこともあるけれど、たった一年と言えども引きこもりで過ごしたから、人に対する懐かしさが弥増しているのだ。
なんと5年間も年賀状を書かないでいた。
母が亡くなって年賀欠礼したまま、再開しないでいたようだ。
現役だったから500枚書いている。
年賀状のみのつき合いといっても、その昔は俺の人生の大きな部分を占めていた方が多い。そのときは一生行き来があると思っていた。まさか年賀状だけになってしまうなんて夢にも思わなかった。年賀状が続いているのはまだマシで何かの弾みで途絶えるとそれっきりになっている方も多い。なんて書いている。
それで、僕の住所録はヌケが多いのだ。
どうだろう、ことしは年賀状の売上も少しは増えているのじゃないか。
(久しぶりに都立大学までパンを買いに行った。
見た目に暖かそうなので厚いセーターだけで出てしまったら、気温は低い。カフェによるのを止めてそそくさと帰宅した。)
添え書きの字の汚さ、宛所不明で戻ってきた自分が書いた年賀状をみると、つくづく嫌になる。
僕がいただく年賀状のなかで、こんなに汚い字のものは一枚だってありゃしない。
その昔は、800枚からを宛名も手書きで出していた。
冷汗が出る、といいながら昨日仕上げた200枚の添え書きも相変わらずミミズのノタクリ。
ゆっくり丁寧に書くということができない性格は致命的だ。
小学校の鉛筆書き方コンクールで、一字一字丁寧に書いたら佳作(クラスで)になって、オミソ先生が「やれば出来るじゃないの」とほめてくれたことを忘れない。
でも、いまは「やっても」できなくなっている。
その昔は、800枚からを宛名も手書きで出していた。
冷汗が出る、といいながら昨日仕上げた200枚の添え書きも相変わらずミミズのノタクリ。
ゆっくり丁寧に書くということができない性格は致命的だ。
小学校の鉛筆書き方コンクールで、一字一字丁寧に書いたら佳作(クラスで)になって、オミソ先生が「やれば出来るじゃないの」とほめてくれたことを忘れない。
でも、いまは「やっても」できなくなっている。
もうこうなっては、これが佐平次だと思って受け入れていただくしかない。
志ん輔のブログに、
どれどれ、見にいってやろうか。
「力技で無理にでも笑わせようという噺家が多い中、お客様の泡立った気持ちがしっとり落ち着き客席の空気も落ち着くそんな高座を勤めたかったしそんな噺をやりたかった。先日の上野鈴本も今日も正にその意図のままになった。」とある。
どれどれ、見にいってやろうか。
by saheizi-inokori
| 2021-12-20 11:21
| よしなしごと
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