散文精神
2021年 12月 13日
【要介護4から回復!作家・澤地久枝91歳、自民党へ怒りの仁王立ち】https://t.co/SUYp511Gnn
— 女性自身【公式・光文社】 (@jisinjp) December 11, 2021
痛さから、ヒビくらい入っているだろうと思っていました。骨折も初めてでなく、数年前に第一腰椎を折っていて、左膝は12年にと、何度か折って……#シリーズ人間 #澤地久枝 #女性自身[@jisinjp]
とはいえ、先日の雨中の一万歩のせいか膝と腰に違和感があるので、きのうはひねもす引きこもり。
駒沢公園のいつもの木が気になるけれど、一昨日見に行ったから、よしとしよう。
せめて91歳の澤地さんのように国会前のデモくらいには行けるように、大事をとろう。
エンリーケ・ビラ=マタスの「永遠の家」の冒頭の「ぼくには敵がいた」を読んで、気が変わって開高健の「人とこの世界」に切り替える。
テレビなどで「めちゃくちゃ旨い」なんてメチャクチャ使う言葉で、ちょっと真似してみたけれど、あまりいい言葉じゃないな。
あれは「(馬鹿にしていたけれど)思いがけず旨い」くらいの意味なのだろうか。
嵐山光三郎は、ほんとに本気で褒めて、そこからいくつも引用していたのだ。
明晰、鋭利、諧謔、豊穣、海容、粘着、大胆、博識、飄逸、自在、好色、大食、哄笑、、ほら開高節が伝染した。
広津和郎、きだみのる、大岡昇平、武田泰淳まで読んだ。
そのうち冒頭の広津和郎がいちばんおもしろかった。
優れた評論や小説も書いたが、なんといっても松川裁判の冤罪を訴えて戦うことに人生を捧げたといっても過言ではない作家だ。
「書きたいと思って書いた小説も評論もない、書けと言われたから書いた」「万年床にもぐりこんでとりとめもないことを考えてぼんやりしているのが大好き」、日本のゾラと言われることが多かったが、本人は「旗本退屈男」だという。
徹底して執拗に持続する実践の人、その武器は実証と常識である。正真正銘、広津さんは行動人であった。けれど明治以来の日本の知識人が<行動>という言葉で連想するのは闇に散る花火の悲愴であった。”持続”とか、”常識”とか、”実証”などは、大の苦手で、真に必要なのはこれだぞといって持ちだされると、口ではそうだ、そうだといいながら、眼は早くもどんよりにぶくなってしまう。そっぽ向いてしまう。シビレないもんなァという。それでいて激烈、悲愴なことを口にする連中にかぎっていつまでも椅子にすわりこんで紅茶をオチョボ口ですすり、たちあがろうとしないのである。つまり不渡手形の思想家である。コミュニストであろうと、リベラリストであろうと、いまの日本の知力はそれら無数のシロアリに食い荒らされている。そして新聞、雑誌、週刊誌、総合雑誌は実体なき言葉の製粉所みたいになっている。半世紀前に出版された本の言葉、変わらんなあ。
広津の言葉、
(前略)、、それはどんな事があってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、生き通して行く精神—それが散文精神だと思ひます。それは直ぐ得意になったりするやうな、そんなものであってはならない。、、(中略)、、この国の薄暗さを見て、直ぐ悲観したり滅入ったりするやうな、そんなものであってはならない。そんな無暗に音を上げる精神であってはならない。さうではなくて、それは何処までも忍耐して行く精神であります。執念深く生き通して行かうといふ精神であります。ぢっと我慢して冷静に、見なければならないものは決して見のがさずに、そして見なければならないものに慴(おび)えたり、戦慄したり、眼を蔽うたりしないで、何処までもそれを見つめながら、堪へ堪へて生きて行かうといふ精神であります。昭和13年ごろの「散文精神について」と題する講演の一節だ。
なんと勇気づけられる言葉だろうか。
あの頃は散文精神をもって生きていたかもしれない。
たとえ人からみたらアホであっても。
「花も嵐も乗り越えて鉄道人生44年」
はたから見ればアホと思われても、散文精神で、、って本当にそうだ。
私も便利そうな「メチャクチャ」という言葉を使いたくなる時があります。
でも、恥ずかしくて使えないのはなぜでしょう。
いつも他の言葉を探してしまいます。
一時帰国中にした私と父との昔話。伯父の話を(国鉄でバリバリ闘ってた)聞いてまた胸が熱くなりました。以前も書いたかもしれませんが、伯父は松川事件は戦後最大の冤罪だと言っていたそうです。伯父に戦中、戦後の話、国鉄マン時代や社会党の貴重な話を聞くことも無く。
伯父が生きていたなら「真実を知りたい」と、齧りついたことでしょう。
私は労使の立場こそ異なっても戦う組合役員にシンパシーやリスペクトがありました。
当局のエリートたちよりも彼らと話しているときのほうが安らぎを感じたときもあります。