そのままにしておきたいものと変えたいものと
2021年 11月 29日
自然歴史博物館のこと、なんども来ているけれど、みんなキャンデーやガムなんかをいっぱい持ってったから
講堂の中はとてもいい匂いがしたんだ。雨が降ってないときでも、外は雨が降ってて、自分たちだけが雨の当たらない気持ちのいいところにいるみたいな、なんかそんな気持ちにさせる匂いだったな。あの博物館は大好きった。そんな場所って誰にでもあるのかな。僕は床屋を想う。
天花粉やお湯やクリームの匂いがして、外が雨だったらいっそういい気持ちになったなあ。
いまはそれほどそう感じないのかなぜだろう。
インデイアンの部屋に展示されている戦争に使った丸木舟やガラスケースの中の毛布を織っているインデイアンのオッパイが見えたとことか、エスキモーが湖から釣り上げた魚が二匹だったこととか。
そういうものがいつ行っても変わらずそのままでいるのに、見る自分がオーバーを着ていたり、一緒に行く子が別だったり、引率の先生が代わったり、道路の水たまりにガソリンの虹が浮かんでいるとこを通って行ったり、いつもなにかしら同じではないのだ。
こういうことを当たり前と思ってそのままにするのではなくて、そういう風に改めて感じて、妹のフィ―ビーがどんなふうに変わって見ているのかと思う。
そして
ものによっては、いつまでも今のまんまにしておきたいものがあるよ。そういうものは、あの大きなガラスのケースにでも入れて、そっとしておけるというふうであってしかるべきじゃないか。それが不可能なことぐらいわかってるけど、でもやっぱし残念だよ。こういう文章を読むと、ぼくもホールデン少年のように、人びとの不幸を予想して悲しくなる。
三時過ぎに目が覚めてまた眠れなくなって、ずっと小三治と志ん朝を聞いていた。
これは日本シリーズの興奮の余波ではなく、痒いからだ。
チームの何が変わったかと聞かれれば、僕が変われたからだと答える。自分で言うのも変だけど、ここまで大きく変われたことがチームの変化にもつながっているんじゃないかなと思っている。
— 佐平次 (@saheiziinokori) November 28, 2021
ヤクルト中村捕手の言葉を、若者に届けたい。https://t.co/6bauDLyaOv
今年は行けそうもないので、さらに嬉しくなりました。
ありがとうございます。
お見事バグースです。
東京ももっと探して歩けば見所は多いのでしょうが私は駒沢公園ばかりです。
「ライ麦」のホールデンの漂泊感を出すには難しいですが。
例えばオー・ヘンリ「最後の一葉」モーム「雨」などは構成が素晴らしく落語にできると思うのです。
コッソリ読みたいな。
ガメさんの日記、おもしろかったです。
日本の伝統文化はホルマリン漬けになりつつあるのかな。
ホールデン少年は、ある意味で伝統文化の根っこがない社会に鬱屈しているのもしれない。
伝統の根っこのない社会。。。 そうか~ そうですね
ガメさん 日本語の本を出すということ とInputし検索してみまして
なんか切なくなりました
自らのIdentityを探検し愉しみ いつかバイバイしたいですわ(年の暮れ。。。)