二人のホールデン少年

きのうは、思い立って、というほどのことでもないが、多摩川に行ってみた。
久しぶりに川面の夕映えを観たかった。
以前なら歩いて20分くらいな距離をバスに乗っていく。
ちょうど大きな夕陽が落ちなんとする様子、急いで岸辺に向かった。
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が~ん!なんたることか、川が半分になって工事中ではないか。
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あるときにはホームレスの塒にもなり、不審火もあったようなごちゃごちゃした雑木もきれいに亡くなっている。
何を造ろうというのか、土建国家に住むということはこういうことか。
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腹立ちを富士の高嶺をみて鎮めた。

「謎ときサリンジャー」に触発されて「ライ麦畑でつかまえて」を二冊借りてきた。
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野崎孝訳(1984)と村上春樹訳(2006)、村上訳は「TheCatcherintheRye」。

まず野崎訳を読んでみる。
「僕」でしゃべる主人公が、兄D・Bについて語るときに「僕んとこを見舞いに来やがんだよ」とか「ジャガーを持ってやがんだよ」というのに、ちょっと違和感がある。
村上訳にあたると、「ぼくを訪ねて来てくれる」「なにしろジャガーを手に入れたばかりなんだよ」。
いかにも村上ワールドの少年かな。

スペンサー先生について、「あんまり考えすぎると」「何のためにこのじいさん、いつまでも生きているのか、わかんなくなってしまう」と言いながら、「あんまり考え過ぎないで、適度に考えてると」「この先生も、そんなにいやでもなく暮らしてるんだってことも分からなくもないんだ」とも言い、それは、奥さんといっしょに、昔、イエローストーン公園で買ったナバホの毛布を嬉しそうに見せてくれたこと、
いいかい、スペンサー先生みたいなすごい年よりでもだぜ、毛布を買ってすごく喜んでるんだからな。
という。
ここを村上訳で読むと、その最後のところは
スペンサー先生みたいにすごく歳とった人って、なにしろ毛布一枚買うことで盛り上がっちゃったりできるわけだ。
となって、野崎の年よりは「なかなか喜ぶことは少ないけれど、毛布一枚で喜べる先生は、若さがある」のに対して、村上の年よりは「毛布一枚ごときのつまらないことでも喜んでしまう」というふうに読める。

スペンサー先生が、ホールデン少年に呼びかけるときに「坊や」というのがちょっと気になるが、村上は「あーむ」という、原文ではどうなっているのか。
ホールデンが、「語彙が貧弱で、年の割にときどき子供っぽいことをやるから」と弁解する「チェッ!」という
口癖について、村上は「やれやれ」と訳している。
村上の登場人物もときどき「やれやれ」というのはボキャブラリーが少ないからではなく、ホールデン少年にも自分の小説の主人公の仲間入りをして欲しかったのだろうか。

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しばらくそうやって二冊を引き比べて読んだが、どうも村上訳の方が、こなれていて読みやすいのでまずそっちを先に読むことにした。
こなれない訳の方が深い読みができるかもしれないので、その時は野崎さん、お願いね。

Commented by PochiPochi-2-s at 2021-11-26 10:46
翻訳本を違う翻訳者で2冊を比べ読みする。
興味深いですね♪
翻訳者により原文が全く違う意味、印象になりかねないなぁと
時々ふと思います。ドイツ文学が面白くないのも、翻訳者にあり
と思っています。でも、英語ならなんとかなるけれどドイツ語
になるともう翻訳に頼るしかない。いい翻訳者に出会えることが
好きになるための原点かなぁと思います。
サリンジャーは学生時代よく読みました。
Commented by saheizi-inokori at 2021-11-26 11:56
> PochiPochi-2-sさん、翻訳者はもう一人の作家ですね。
亡父などはロシア文学を英訳、またはドイツ語訳の日本語訳で読むようなことをしていました。
ギョエテとは俺のことか、ですね。
Commented by unburro at 2021-11-26 13:25
私は、村上訳を読んで、
「やっと、ライ麦畑〜が分かった…」と感じました。
学生時代に野崎訳を読んだ時には、全くピンとこなかったのです。
当時の私の理解力不足もあるかもしれないのですが…

読み比べる佐平次さん、パワフルですね〜!
Commented by saheizi-inokori at 2021-11-26 15:31
> unburroさん、順番が逆ではだめなのかな。
Commented by miyabiflower at 2021-11-26 15:51
野崎氏の翻訳はそれまでになかった「若者の話し言葉」なので
斬新だということでちょっと話題になりました。
英語の文体は1950年代のアメリカの高校生の口調を適確に捕えていると推奨されたそうで
野崎氏はこの翻訳を「難事に挑戦した暴挙」と解説に書いています。
私も初めて読んだ時には、少なからず言葉遣いに違和感があったのですが
やんちゃな高校生なのだろうなぁと思って読んだのでした。

1970年代の庄司薫氏の「赤頭巾ちゃん気をつけて」は「ライ麦畑でつかまえて」に
影響を受けていると言われていました。
文体も様々なプロットも。どちらも高校生が語っています。

村上氏訳も読みましたが、野崎氏訳に慣れてしまっていたので
ずいぶんお行儀よい高校生に思えたものです。
比較して読むとおもしろそうですね。
どちらも好きなので、二冊同時進行にしてみようかしら・・・。
英語版(日本語の注釈本つき)もあるのですが、
翻訳本を参照しているうちに、結局は翻訳を読み進めることになります^^

野崎氏訳の懐かしい本、本棚の奥にありました。
もともとは亡父の蔵書、もう一度ゆっくり読もうと思います。
Commented by saheizi-inokori at 2021-11-26 21:45
> miyabiflowerさん、ご親切にありがとう。
そういえば赤頭巾ちゃんも似た雰囲気があったような気がします。
野崎の「暴挙」、それだけあの頃の日本ではホールデンみたいな若者は新鮮な未知の存在だったのですね。
Commented by fusk-en25 at 2021-11-27 01:18
なんとまあ。。
2冊を読み比べられるなんて。
そんな読み方もありなんですね。

サリンジャーを読み耽ったのは。
もう50年以上も前。。と懐かしい思いでした。
当時とても新鮮な気持ちで読んだことだけを覚えていて。
内容は全部忘れました(笑)
なのに。本棚に他の本はあるのにライ麦畑だけがない。
確か単行本で読んで持ってこなかったのかしら?
誰かに貸して無くしたか?
ないとなるとまた猛烈に読み返したくなります。
Commented by at 2021-11-27 06:42 x
私は野崎訳で読み、今も持っています。
結局、この小説は新しい感性を有した若者の登場、ということなのでしょうか?
旧価値との齟齬をきたした無数の「ホールデン」が米国中に存在したんでしょうか?
Commented by saheizi-inokori at 2021-11-27 12:29
> fusk-en25さん、少し晦渋なユーモアがいいですね。
我が青年時代、いや、今でも小心「あるある」がチクッとさします。
Commented by saheizi-inokori at 2021-11-27 12:31
> 福さん、新しさもあり、青年通有の「あるある」の切れ味のよい描写も楽しいです。
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by saheizi-inokori | 2021-11-26 10:37 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Comments(10)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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